Thursday, September 27, 2007

ハックはもう長くない。
脾臓と肝臓に腫瘍が拡がり、肺にも転移している。すでに手の施しようがなく、できることといえば残された時間をよりよく過ごさせてあげることに尽きる。
最後にリンパ腫の治療をした日には、そんな徴候はなかったのだから、進行の早い悪性腫瘍だと思われる。リンパ腫ではない。その腫瘍が何かがわかったとしても、治療法がないことに変わりはない。おそらく脾臓から発生した悪性腫瘍の末期である。
お腹の中で腫瘍が破裂するせいで急に貧血になりぐったりする。もう輸血を3回した。動物には赤十字センターなんかないから、血液を探すのに奔走する。お腹の中の爆弾が破裂しないよう注意深く、毎日の世話をしなければいけない。
食欲はあるけど一度に食べることができない。腫瘍が大きくなり、胃を圧迫するのだろう。
あと1ヶ月、あるかなあ。

Tuesday, September 11, 2007

ハック闘病中

ハックのリンパ腫は抗がん剤によく反応し、9月5日をもって抗がん治療を一時中断することになった。しかし、その頃からハックは元気がいまひとつ、歩き方もよぼよぼとして、一気に老け込んだように思う。耳も遠くなったし目もよく見えてない。もうすぐ15歳だし、それも仕方ないかな、と思っていたら、ある日コールタールのような便をして虚脱状態になり、母が近くの動物病院に連れて行った。
貧血がひどく、輸血が必要だと言われた。コールタールの正体は、胃から小腸にかけての出血が疑われる。しかし、その病院では輸血をするための血液の供給が望めない。
翌朝、ハックを車に乗せ、勤務先に同伴出勤をする。前日のうちに院長先生に輸血の許可をとり、病院の居候雑種犬から血液をもらうことにしたのだ。
輸血と薬の効果で、ハックのコールタールのような下痢便は止まった。しかし食欲がない。もともとヒルズのサイエンスダイエットみたいな、決して美食とはいえないようなドライフードを常食としてきたハックだから、それ以外のフードだったら何でも食べたものだった。しかし、今では美味しいものを与えても、半分は残してしまう。寝ていることが多い。急激に元気のなくなったハックを見ては、母もご近所さんも切なくて涙する毎日である。
私はといえば、もうすぐハックも死んじゃうのかなー、と思いつつ、実家に入り浸り、あの手この手を繰り出し、毎日ハックの食欲と便の状態を確認し、いざというときの輸血の準備や手配もすすめている。まだ負けない。

犬が元気でご飯を食べて散歩に行くこと、それだけのことが何て素晴らしく思えるのだろう。
こんな状態でも、ハックは私の車の後部座席に乗るのが好きで、ものすごいすばやさでドアからよじのぼろうとする。ハックはいつも、私の後部座席にいたいのだ。そこだけは、昔からハックの特等席だったから。

ハックの容態が思わしくないことを知った人たちが応援のメッセージをくれたり、輸血の供給を申し出てくれたりしている。ありがとう。私一人じゃないなと思えて、また頑張れる力がわいてきます。

Tuesday, June 26, 2007

寂寥

最近ハックは、私の車の後部座席に乗り込むと、実家の前で降りようとせず、わざと伏せをして「ボク、おりないよ」と上目遣いに私を見る。
ハック、今日はうちにお泊りじゃないんだよ。20kgの体を持ち上げながら、私と一緒にいたがるハックが、本当に可愛く思える。また今度ね。今度、お休みの前の日に、うちに泊めてあげるからね。

ハックや翔ちゃんの治療をするようになって、少しだけ後悔している。
どうして、もっと一緒の時間を作らなかったんだろう。
どうして、もっといろんなことをしてやれなかったのだろう。
ハックはこんなに私のことを好きなのに、どうしていつも仕事や子供の後回しにしてしまったのだろう。


どんなに治療しても、残された時間には限りがあり、それがいつも健康状態がよいとは限らない。
犬連れOKのレストランやカフェに一緒に行きたかった。
また海に行って、波の音が怖いハックを、もうちょっとアウトドア犬にしたかった。そういえば、清川村の谷太郎川沿いに遊びに行ったとき、ハックは喜んで水に入っていた。
ブルートみたいに、ノーリードで公園を散歩・・・は、ハックには無理だけど、おでかけは好きだったよね。
もうちょっと綺麗にシャンプーして、一緒にお昼寝してあげればよかった。
もっと早く開業していたら、ハックは看板犬になっていたに違いない。
病院でハックの点滴をはずしながら、いつも寂しくなる。

どうしてもっとハックと一緒にいてやらなかったんだろう。
どうして、あと少ししか時間がないときにこんなこと考えるのだろう。
どうしたら、時間を取り戻せるのだろう。
後悔するくらいだったら、どうして今まで後回しにしていたんだろう。
こんなに大好きなハックなのに。ごめんね、ハック。
今さらこんなこと言っても、もう遅いのかもしれないけど。


そう、今頃後悔しても、もう遅い。時間は取り戻せない。
大切なものは大切に扱わなければならないことを、失いかけて初めて知る。
ハックとのお別れは確実にやってくることを、静かに受け止めよう。
終わりのないものはないのだと。

Monday, June 18, 2007

病気になっても幸せなハック

リンパ腫になってからというもの、ハックと一緒に過ごす時間がちょっと増えた。抗がん剤がよく効いて、リンパ腫の症状も今は消えている。ご飯もよく食べるし、見えなくなった目は見えるようになった。
ビバ!リンパ腫!リンパ腫の中でも抗がん剤によく反応するタイプだったことが、幸いした。神様ありがとう。そして、ハックは自分が病気だってことなんか多分わかってない。ドライフードだけだったご飯に、缶詰も混ざるようになって、ラッキーって思ってるみたいだし、私と一緒に散歩する時間が増えて、ちょっと甘えん坊が強くなったみたいだ。大学に連れて行っても、実家の田んぼ道でも、シッポをぴんとあげて、ちょっと上目遣いに私を見ながら「てへ」って顔をしながら、私の半歩後ろをリズミカルに歩く。ただ、駐車場までくると、私の車を見つけてぐんぐん引っ張り、ドアの前でうろうろうろうろうろうろ・・・・「ねえ、乗らないの?」って私を見てる。ハック、今日は乗らないよ。^^;「えー、やだ。乗る乗る。」
ハックも、もうちょっとしたらいい匂いのシャンプーをして、一緒にご飯を食べに行くんだ。相武台のリチェッタにしようか、相模原のデモデにしようか・・・おとなしくマテができるかな。ハックと助手を連れて(多分母も甥っ子もついてくる)、犬連れご飯。犬より助手の方がおとなしくなかったりして。

Sunday, June 17, 2007

翔ちゃん闘病中

ハックのリンパ腫は、抗がん剤がよく効いて今のところ小康状態。まだしばらくは抗がん剤を使わなければならないが、15歳という年齢を考えると、抗がん剤で体を壊すことのないように慎重にいかなければならない。

それよりも、実は翔ちゃんのほうが深刻である。
春先から慢性腎不全で皮下点滴をほぼ毎日していたのであるが、先週の火曜日からあまり動かなくなり食欲もほとんどない。これまでも、食が細くなり今までのドライフードはほとんど見向きもしなくなったため、あの手この手でいろんなフードを試してきた。猫用おやつみたいなカツオとか、山盛りの花カツオとか・・・。でも。火曜日からは食べそうなふりをしてそっぽを向いてしまうのだ。いかん。弱っている。翔ちゃんが弱ると、母も弱る。母の脳裏にはお別れの光景が浮かび始めるので、家中がどんよりとしてしまう。
猫を飼い始めてから、腎不全は3頭目。ただし、最初のチャッピーは「おそらく」腎不全だ。当時かかりつけだった動物病院で、ちゃんと血液検査をしていなかったが、症状からは腎不全が疑わしいのだ。最後は尿毒症で痙攣を起こし、それでも尿意を催すと必死になってトイレまで這って行ったあの姿が、母の頭にある。2頭目は宙太。彼は5歳半で慢性腎不全になっていた。若かったし食欲も元気も十分あったので、まさか腎不全になっていようとは思わなかった。あのときはフィリピンにいたので自分で治療をすることができず、可能性にかけて大学病院での腎臓移植に踏み切った。手術は成功したものの、退院当日の朝の採血で、せっかくつなげた新しい腎臓がちぎれるという事故で、退院せずそのままお別れとなった。事故自体ありえない話なのだが、母も私も、がっかりしてしまった。
翔ちゃんは18歳だから、もう腎臓移植は考えていない。たとえ腎臓が新しくなったところで、体そのものが5年も10年ももつわけではない。母はただ、苦しまず眠るように逝ってほしいと考えている。そういう時が近いうちに訪れるのだろう。
血液検査はもう意味をなさない。BUNもCreも、そしてリンも、上がるだけ上がり、大して下がることはないのだ。数値なんか、もう問題ではない。翔ちゃんが少しでも食べること。不快な症状に悩まされないこと。そして、母がつらい思いをしないこと。それが、今の治療目的である。

水曜日は大学に連れて行き、腫瘍科の手術をしている間点滴を流していた。午後になって、与えた市販のドライフードに食いつきもよかったのだが、帰宅した途端戻してしまった。
木・金は実家から近い動物病院で点滴をしてもらう。院長は大学での知り合いだから、水曜日のうちにいろいろお願いしておいた。私に遠慮せず、先生が必要と思う治療をしてくださいと。彼もやりにくいだろうなーと思うが、逆にちゃんとやってくれるだろう。しっかり点滴を流してもらったが、帰宅してもほとんど食べず。土曜日、両親が留守なので立川の職場まで車に乗せ、同伴出勤を決め込む。午後、市販の猫缶を大さじ1杯ちょっとくらい食べた。でもそれきり。その夜もほとんど食べなかったので、今日は大田区の病院まで同伴し、診察をしている間点滴を流した。
腎臓が悪くなると、血液もあまり造られなくなるので貧血になりやすい。そこへ点滴をするので、血液が薄くなる。でも点滴をしないわけにはいかない。こういう体のバランスの崩れが体を弱らせていく。輸血したらちょっと元気になるだろう。それを母が望むだろうか。
あれを食べるだろうか、これを食べるだろうか。今まで美味しくない処方食でも喜んでいた翔ちゃんの、食欲で一喜一憂するようになるとは思わなかった。カニカマでもあげてみようかな・・・。

Saturday, June 09, 2007

いい加減、開業の準備を進めなければ。事業計画書を作成しなければならないのだが、3年後の事業の収入なんか、わかりませーん!コンサルタントに頼めば手間は省けるが、有名どこは最近高くつくと評判がよくない。
一人で頑張るか?地元なら柔道部のOBの方々が工務店を紹介してくれるだろうし、薬屋さんや機械屋さんは長く仕事をしていれば知り合いもいるし先輩や友人獣医師が紹介してくれるだろう。実際には本当に来てくれるかわからないけど、私と仕事をしたいと言ってくれるAHTさんも何人かいる。さすがに最初から若い獣医さんを雇う余裕はないけど、人材はどうにかなるだろう。(かなり皮算用?)ロゴは助手にも描かせてみよう。意外といいのを描くかもしれない。
事業計画書と不動産業者との交渉。初めの一歩が苦手、だけど逆に考えれば、動き出せば楽になるということ。なんで動けないかなあ。

Monday, June 04, 2007

やがて訪れる時間の前に思うこと

一部から批判?非難?を受け停滞していたブログだけれど、思うことは溢れてくるのでやっぱり書くことにする。しょせんブログなんて個人的な所感を自由につづるものなのだから、私が書くことについては読みたくなければ読まなければよい。こいつはおかしいと思うなら、ほっといてくれればよい。私は自由だ。少なくとも、私を傷つける何者かからは。

4月から勤務する病院は、腫瘍科のOBの先生の病院なので、腫瘍症例が多い。他の病院で断られたり、大学病院の予約が取れなくて回ってくるようなものだから、なかなかこれは、と思うほど進行しているものも少なくないが、やれるだけのことをしてあげたい、という飼い主の気持ちに応えるべく、治療に挑戦しているときもある。
先週、来ていた雑種のワンちゃん、いつもお母さんと高校生のお嬢さんが連れ立って見えるのだが、その日は制服姿のお嬢さんが一人で連れてきた。最近元気がないという。1年以上前に腫瘍の手術をし、その後抗がん剤もがんばった。抗がん剤を半年続けたところで転移や再発がなかったので、その後しばらく診察にいらしてなかったのだが、レントゲン検査の結果、腫瘍の再発と肺への転移が見つかった。院長先生の説明を聞いていたお嬢さんは、涙を目に浮かべながらじっとレントゲンを見つめ、犬に目を戻し、治療と詳しい検査のために犬を預けいったん自宅に戻っていった。肺の転移している腫瘍も範囲が広く、手術や抗がん剤の治療は困難に思われる。
犬を迎えに来たのはやはりお嬢さんだけで、詳しく調べた検査の結果を聞き、今後のことを家族と相談するということで診察室を後にした。会計を待つ間、彼女は待合室のすみっこのかげに座り、静かにポロポロと涙をこぼしていた。私にできることは、そっとティッシュを何枚か渡すことだけだった。
その後も彼女の姿と犬のことが頭から離れなかった。高校生の彼女が、まだ小学生の低学年だった頃から、一緒に育ってきた犬だろう。まだ10年生きていない犬が、ガンに侵され命の終わりを近いうちに迎えることを彼女はどう受け止めるのだろう。私たち獣医師が知りえないたくさんの思い出や時間がある。それを思うと、その様子がつい助手と重なる。
生まれたときにはもうハックがいた。翔ちゃんもいた。ハックは赤ん坊の泣き声にも文句を言わず、自分が後回しにされてもじっと待ち、助手の一輪車の練習につきあい、今では広い公園に遊びに行くときも一緒に連れて行ってもらっている。翔ちゃんには顔を引っかかれて以来、ちょっと距離を置いているけれど、猫は大好きだ。ハックや翔ちゃんがいることが当たり前の10年。リンパ腫の治療が今のところうまくいっているとはいえ、ハックも不死身ではないし私も魔法使いではない。やがて直面するハックの死に助手はどう向き合うのだろう。死に行くハックを助けられない「動物の医者」である母親をどう思うのだろう。やせ細った翔ちゃんに皮下点滴をする母親の背中から、何を学ぶだろうか。私は獣医師でなく、母親として、助手に何をしてあげられるのだろうか。