Wednesday, June 28, 2006

別れの言葉

長いこと(かれこれ10年以上)獣医師として仕事をしていると、命にかかわる仕事だけに悲しいお別れを間近でみる機会が多い。獣医師がかかわるのは主に治 療の場面であり、それは仕事であるから当然のことなのだけれど、単なる生活の糧を得るためだけにしていることではない。病気を治すだけが獣医師や医療の現 場にいる人間の役割ではないと思っている。

上顎の悪性腫瘍で亡くなったハチ君のことは、今までにも何回か書いているけれど、先日はハチ君の四十九日であった。そのハチ君のお母さんから大学のボス宛 にお届けものがあった。そのことで受付の人たちと話をしているとき、こんなことを言われた。「ハチ君のお母さんが、最後の治療の日、日比先生にお会いでき てよかったと言ってましたよ。」と。不覚にも涙がこぼれてしまった。まだ診療が残っているし、いい大人が病院の受付で泣きべそかくのもみっともないので、 あわてて涙を拭い去る。
なぜ涙がこぼれてくるのか、この気持ちをうまく説明することができない。悲しい、というのでもないが嬉しい、というのとも違う。一般的に感激、というもの に近いかもしれないが、感情のベクトルは決してハイテンションには向かっていかない。だって、ハチ君は悪性腫瘍にかかり、現代獣医学を総動員して手をつく したにも関わらず、旅立っていったのだ。決して誉められるような治療成績ではない。ともすれば悲しみや絶望感、そして喪失感に打ちひしがれるような経過で あった。そして、事実、そのお言葉の数時間後に会ったのを最後に、1週間とたたないうちにハチ君は天に召されてしまったのだ。
それなのに、「お会いできてよかった」と言っていただいたことを知り、私の中の何かがぷつっと切れて涙となって溢れ出たかのようである。

私と出会ってハチ君はグルメ犬をやめ、ハチ君自ら食事の時間はベランダに出るようになった。そのかいあって体重は10kgも落ち、身が軽くなったハチ君は 若返ってはつらつを散歩をするようになった。その後偶然見つかった腫瘍の治療のため、苦手だった車を克服し、昨年の夏は家族と一緒にお泊りの旅行にも行っ た。ちょっと遠出してのおでかけもした。2度目の腫瘍のときは、車が帰り道に故障して止まってしまい、相模原のディーラーのショールームに入れてもらって お迎えの車を待っていたりした。最後の2年間はハチ君にとっても変化に富んだ時間だっただろう。「日比先生にお会いできてよかった」というお母さんの言葉 の向こう側で、「僕も楽しかったですよ」とハチ君が言っているような気がしてならない。
ハチ君、私も楽しかった。ありがとう。そういってもらえて、先生もすごく幸せです。

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