Monday, June 04, 2007

やがて訪れる時間の前に思うこと

一部から批判?非難?を受け停滞していたブログだけれど、思うことは溢れてくるのでやっぱり書くことにする。しょせんブログなんて個人的な所感を自由につづるものなのだから、私が書くことについては読みたくなければ読まなければよい。こいつはおかしいと思うなら、ほっといてくれればよい。私は自由だ。少なくとも、私を傷つける何者かからは。

4月から勤務する病院は、腫瘍科のOBの先生の病院なので、腫瘍症例が多い。他の病院で断られたり、大学病院の予約が取れなくて回ってくるようなものだから、なかなかこれは、と思うほど進行しているものも少なくないが、やれるだけのことをしてあげたい、という飼い主の気持ちに応えるべく、治療に挑戦しているときもある。
先週、来ていた雑種のワンちゃん、いつもお母さんと高校生のお嬢さんが連れ立って見えるのだが、その日は制服姿のお嬢さんが一人で連れてきた。最近元気がないという。1年以上前に腫瘍の手術をし、その後抗がん剤もがんばった。抗がん剤を半年続けたところで転移や再発がなかったので、その後しばらく診察にいらしてなかったのだが、レントゲン検査の結果、腫瘍の再発と肺への転移が見つかった。院長先生の説明を聞いていたお嬢さんは、涙を目に浮かべながらじっとレントゲンを見つめ、犬に目を戻し、治療と詳しい検査のために犬を預けいったん自宅に戻っていった。肺の転移している腫瘍も範囲が広く、手術や抗がん剤の治療は困難に思われる。
犬を迎えに来たのはやはりお嬢さんだけで、詳しく調べた検査の結果を聞き、今後のことを家族と相談するということで診察室を後にした。会計を待つ間、彼女は待合室のすみっこのかげに座り、静かにポロポロと涙をこぼしていた。私にできることは、そっとティッシュを何枚か渡すことだけだった。
その後も彼女の姿と犬のことが頭から離れなかった。高校生の彼女が、まだ小学生の低学年だった頃から、一緒に育ってきた犬だろう。まだ10年生きていない犬が、ガンに侵され命の終わりを近いうちに迎えることを彼女はどう受け止めるのだろう。私たち獣医師が知りえないたくさんの思い出や時間がある。それを思うと、その様子がつい助手と重なる。
生まれたときにはもうハックがいた。翔ちゃんもいた。ハックは赤ん坊の泣き声にも文句を言わず、自分が後回しにされてもじっと待ち、助手の一輪車の練習につきあい、今では広い公園に遊びに行くときも一緒に連れて行ってもらっている。翔ちゃんには顔を引っかかれて以来、ちょっと距離を置いているけれど、猫は大好きだ。ハックや翔ちゃんがいることが当たり前の10年。リンパ腫の治療が今のところうまくいっているとはいえ、ハックも不死身ではないし私も魔法使いではない。やがて直面するハックの死に助手はどう向き合うのだろう。死に行くハックを助けられない「動物の医者」である母親をどう思うのだろう。やせ細った翔ちゃんに皮下点滴をする母親の背中から、何を学ぶだろうか。私は獣医師でなく、母親として、助手に何をしてあげられるのだろうか。

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