Sunday, February 27, 2005

文献和訳

今日は日曜日だが仕事、体調を崩した週の火曜日に授業参観に行くために休みを交換してもらったため、今週は休みなしとなった。風邪のほうはあとちょっとというところで鼻声が治らず、ここ数日になってから市販の総合感冒薬を飲んでしのいでいる。
全国的に休日、ということは道もすいている、そんな発想から今日もバイクでご出勤。冷蔵庫よりも冷たい空気の中を時速100kmで突っ走ると体感温度は氷点下であろう。でも気にしない。晴れていて風がない。絶好のバイク日和だ、と思うのは単純すぎるかな?でも、青い空と冷たく澄んだ空気は気持ちいい。
病院のほうは最近外来件数がものすごく少ない。だいたい冬なんてこんなものだ、とはいえ今日の売り上げを書いた紙を見ると、自分が院長だったらあせるだろうなと思う。でもこの時間は貴重だ。若い先生は熱心に勉強しているし、私は大学のモーニングセミナーに向けて文献の和訳に余念がない。
文献を読むようになって、つくづく思うのだが獣医学はまだまだ発展の途中だ。人間の医学でもがんの研究はまだまだ課題が多いのと同様に、動物のがんもまだ解明されていないことが多い。その分、今後の研究によって治療法が確立される可能性も残されているということだ。実際、骨肉腫の犬が診断されてから死亡するまでの生存期間は、この10年で大きく変化している。
骨肉腫といえば、診断がついたときにはすでに微小な転移が起こっているといわれ、大変攻撃的な腫瘍として知られている。が、大学に行くようになって、骨肉腫と診断された犬が断脚した後抗がん剤の投与を受けて1年以上生存している例を見てから、絶望的なイメージが和らいだ。ほかのがんでも同じだ。悪性の腫瘍は確かに多いけれど、正しく治療することで生きる時間を長くしたり、調子のよい時間をできるだけ長くしたりということは可能である。がんというだけですべてが絶望的というわけではない。
もちろん、がんであるということはそれだけ命のリスクを背負うことになるのだが、そのがんを理解し動物のためにすべきことをすれば、よりよい1日1日を少しでも多くすることができる、と思う。
人間を含めて動物の命には限りがあり、いつかは何かの理由で死んでいく。それが明日かもしれないし、3年後かもしれない。もしもがんが初期に見つかったのなら、それは思うほど怖いものではないのかもしれない。初期がんの治療は完治を狙うことも可能だから、腎不全や心臓病よりも動物の負担が小さくてすむかもしれないのだ。もちろん、発見したときには手遅れのこともあるかもしれない。手の施しようがないほど悪性のがんだってある。それでも、獣医師が正しい知識をもって治療にあたったり、あるいは末期がんの動物に抗がん剤を与えるような無駄な治療をしなければ、残された時間を有意義に過ごすことができる。引き際を見極めることも、よりより医療となるために重要だということをこの1年で学んだ。
本当はもっとたくさんの文献を読めれば勉強になるのだろうけれど、1本読んで理解するのに1週間かかる。だからついついインターネットで興味のある文献のさわりの部分だけ読んで、後で必要なときに読むしかない。もっと英語が得意だったら、と思うけど、文献読破は訓練しかない、とよく言われる。仕方ないから、ちょっとずつでも読むか。

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