Friday, July 01, 2005

2週間分合算

あんまり更新していなかったので、Jasmineはそんなに忙しいのか、はたまた体でも壊したかとご心配されるむきもあるやもしれぬと思いつつ、なかなかキーボードに向かう気になれなかったというのが実際のところである。学会の抄録の原稿はなんとか通ったものの、ほっとしたのもつかの間、年に2回ほど順番で回ってくる、モーニングセミナーという英語論文を読んでスライドにしてみんなに紹介する、新たなプレッシャーがのしかかってきたのだ。
順番どおりにいけば私は7月中旬だったので、後輩のめんどうを見つつのんびり面白そうな論文を探そうと思っていた。ところが、ボスと先輩のご指名で7月に開催される「日本獣医がん研究会」の今年のメインテーマに沿った文献を、どーしても研究会前にやってほしいといわれて「はい」と言ってしまったのだ。あー、あたしのバカバカ。しかしJasmineに二言はなし。「やると言ったからにはやれ」というのがボスの決まり文句でもある。そして再び電子辞書大活躍。
その合間を縫って、ブログの更新くらいはできるだろうと常々思っていたのだが、私の日常には比重の軽い私の頭を悩ませたり、肺活量だけが十分な胸を痛めつける出来事が意外と多く、それをどうやって書いたものかと考えているうちに、時間も押し迫り結局更新できなかった。

半年前に私が診断した、肋骨に骨肉腫のできた17歳の老犬。10年前から預かっている犬だということで治療も希望せず、半年振りに診察を受けに来たかと思ったら、犬はもうほとんど虫の息。おしりの周りにはウジがわいている。昨日からぐったりしているというが、本当はもっと前からのはず。ウジがわくのは動けない動物にだ。動いている動物にウジはわかない。そのうえ、夜中も吠えるし面倒を見切れないので何とかしてくれ、という。自分の犬ではないから治療は勝手にできないし、お金もかけたくない。みんな忙しくて世話をしてやれないのは、可哀想だから、何とかならないか、なんて言われても魔法使いではあるまいし、ほったらかされて死にそうな犬を、お金も時間もかけずに治すことなんかできないのは、誰もが十分承知していることだ。連れてきた犬の預かり主が望んでいるのは、「安楽死をしてほしい」ことだというのは、すぐにわかる。でも、そんなこと引き受けない。
「安楽死」というのは、人間ではまだ認められていないことだけれど、獣医の世界では獣医師に許されている。動物の計り知れない苦痛を取り除く、最後の手段だ。それは飼い主によって依頼されるのだけれど、私はその安楽死を引き受ける基準を自分自身の中で決めている。
1.動物が抱えている病気や怪我が致命的であること。2.それがもたらす苦痛に対して何の治療方法も対処方法もないこと。3.安楽死によって動物も飼い主も救われること。
それ以外にも状況によるのだけれど、最低限この3つは重要だと思っている。安楽死について獣医師が何の基準も持たずに全てを引き受けてしまったら、それは安楽死ではなく殺処分なのだ。あの犬は、骨肉腫でもまだ耐え難い痛みもないし十分な介護を受けられれば、苦痛は少なく残された時間を過ごせるだろう。それは私の中では安楽死の基準に合致しない。面倒見切れないから、というのは殺処分なのだ。それ以上に許せないのは、犬を連れてきた預かり主が、犬に対して愛情をもって安楽死を望んでいるのではない、ということだ。だから、私は断った。どうしても、というのなら本当の飼い主さんから院長先生に依頼してください、と断った。
でも、後から考えた。たとえ苦痛がなくても、愛情を受けずに家の軒先にウジがつくまでほったらかされて生きていくのは17歳の犬にとって、どうなんだろう。幸せなんだろうか。私が獣医師として目指しているのは、みんなのHAPPYだ。あの犬は幸せだといえるのだろうか。安楽死をしてやるべきだったのか?
いやいや、私に彼の命を終わらせる権利はない。これでよかったのだ、と思いながらもなんとなく考えが沈んでしまい、結局日記として書くことはできなかった。

この間、大学に診療にきた8才のゴールデンレトリバーは、肘にできた腫瘍をかかりつけの病院で2回手術した。2回とも「血管周皮腫」という比較的良性の腫瘍と診断されたが、どちらも腫瘍の取り残しがあった。これは腫瘍のできた場所が肘だったので、十分腫瘍を取りきるのが難しかったということもある。どうしても腫瘍を全部取るというのであれば、断脚せざるを得ない場所だった。飼い主が断脚を拒んだために肘の腫瘍だけをできるだけ取ることになった。
血管周皮腫という腫瘍は、普通そんなに転移をしたりすることはないのだが、同じところに何度もできるしつこい性格をしている。そしてそれを何度もとっていくうちに、だんだん悪性のものへと変化していくことも多く、実は決して侮れない腫瘍なのだ。ところが、かかりつけの動物病院でその説明をしていなかった(理解していなかった?)ために、事態がややこしくなる。
2回手術をしてそれでもまた腫瘍が大きくなってきたので、飼い主はまた動物病院に行った。でも今度は別の病院に行った。もともとのかかりつけの先生が「この腫瘍はできたら切るだけ。」という説明しかしてくれなかったのが信じられなくなったのだ。そして新たに行った病院で検査を受けたら、肺に転移しているかもしれない、といわれてしまった。飼い主は混乱してしまったし、その病院の先生も対処に困ってしまう。よそで2回手術してさらに悪性になった腫瘍が肺転移している、となると、どういう説明をしていいものやらそれすらわからない。もちろん、どんな治療をしていけばよいのかもわからない。そこで、その先生は大学病院に紹介することにした。そして私の目の前に登場することとなった。
腫瘍は右ひじのちょうど曲がる角のところ、肘の外側にがっちりとくっついていて、筋肉もおそらくその下の骨の膜も巻き込んでいる。これを手術で取り残さずにというのは、いくらうちのボスでも無理だなと思いながら、胸のレントゲンを見て思わず凍り付いてしまった。肺の中にピンポン玉サイズの白い影がいくつもうつり、そのうえ、もうひとつ、テニスボール大の白い影もくっきりとうつっているのだ。肺転移が進行している。このあと、ボスがどんな判断を下すのかは聞かなくてもわかる。オペ不適。肘の手術をしたところで、肺転移が進んでいるので、残された時間が短いのは変わりはなく、逆に麻酔をかけたりすることで体力を奪ってしまい寿命を縮めることにもなりかねない。果たして、その宣告を受けてしまった飼い主が最後に力なく私に問いかけた。「これから、どこへ行けばよいのでしょう。」一縷の望みを持って来た大学病院で、積極的ながん治療ができないと言われてしまったのだ。そして、余命は長くて半年、早ければ数ヶ月あるかどうかとまで言われてしまった。あとは、残された時間をできるだけ苦痛なく過ごさせてあげることが最大の課題だ。それを医療の側、つまり紹介してきた動物病院で支えてあげることができるだろうか。それは医療レベルだけでなく獣医師の人間性も大きく左右することだ。これもまた、胸に重くのしかかる出来事だった。

そんなことばかりが続くと、さすがの私も仕事をしていてしんどくなる。こんなときこそ、テンションあげていこう。私の元気のもとは、お散歩の途中で愛想をふりまきに病院に寄り道する蝉丸(柴犬)とか、リンパ腫の治療開始からもうすぐ1年になるテリー君だ。待合室に尻尾を振りながら入ってくるのは君たちくらいかもね。でも、うれしいよ。みんながHAPPYだと私もHAPPYだよ。そしてまた、取り戻した元気をみんなにも分けてあげよう。あー、自分が単純でよかった。

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