Sunday, December 19, 2004

振り向かないぞ

今日は休みなのだけれど、今年八王子市内で開業した腫瘍科の同期の病院を手伝いに、というか、遊びに行ってきた。私もいつかは開業、と最近あちこちで言っているので割とみんなオープンにいろいろ教えてくれる。融資の申し込みと物件探しはどちらが先か、とかいくら借金したとか。また、病院の内部も将来ぜひ参考に、と思うので多くの病院を見学に行くことは私にとっては遊びではなく必要なことなのだ。
空気は冷たいけど天気はよい。そして病院は昔大学まで車で行くことがあったとき、通った道筋にある。これはバイクで行くしかない、とばかりに朝8時前からエンジンを暖める。
野猿街道から少し入ったところにあり、獣医師夫婦2人とトリマーさんがいるだけの、まだ新しい病院。でも、彼らは大学病院の研修医を経験しているので、若いけれど意識は高い。数年後、間違いなくあの地区でも信頼のおける病院としてにぎわっているだろう。待合室も居心地がよく、病院特有の圧迫感とか無機質な感じはない。開業するとき一番悩む検査機器はいいものをそろえている。
日曜は午前診療なので、終わったあと少しお茶をいただいておいとまする。さあ、天気がいい。どうしようか?まっすぐ帰らず、そのまま府中方面へバイクを走らせる。昔、府中に祖母が住んでいて、母と一緒にこの道を通った。その祖母は今、大田区池上のおばのところに同居しているが、複雑な事情があり会うことができない。
国道20号、甲州街道に入るとさすがに車が多い。学生時代、車の免許を取ったばかりの私に、友人が車のキーを渡して運転させてくれた、というか運転させられた。お金はないけど、時間があった頃、みんなで私の運転を楽しんだ、というか面白がっていた。
府中街道から東八道路、通称30メートル道路に出る。ここを三鷹方面へ行けば、卒業した大学は近い。昔、一緒にバンドを組んでいた女の子は、この道をバイクで通っていた。まだ免許のなかった私は彼女がバイクで遠ざかる後姿を、うらやましく思った。
大学は中央線の武蔵境という駅の近くにある。私立大学では歴史があるのだが、知名度は低い。大学の規模も小さいし、何度も移転問題が起こったり、不正入試事件があったり、経営移管問題があったりと、あまりよいことで取りざたされない大学なのが悲しい。同世代の卒業生の中には全国区で活躍するような獣医師も多く、それは誇りに思うのだが、大学自体はくやしいくらい問題山積みがいつまでも解決されない。
獣医学科は6年間の修業年限が決められている。武蔵境の6年間、なんだったのかな。
年数のわりに、楽しかった思い出があまりない。高校の3年間のほうが、ずっとずっと楽しかったし思いでも多いような気がする。6年間、友達もいたし恋もしたしサークル活動もした。もちろん勉強にまつわる話もいくらでもあるけど、自分がそこにいることに、いつも違和感があった。オチこぼれ、だったのかもしれない。ヤマをかけて勉強するのなんかバカらしかったし、本当だかどうだかわからない人の噂のネタにされるのも嫌だった。そこから逃げるようにぎりぎりで卒業してぎりぎりで国家試験をパスした、それが私の12年前だ。二度と大学になんか戻らない、そう思った。12年後、こうしていることなんか誰も想像してなかった、と思う。
あの6年間で何を得たのかな。獣医師国家資格。信頼できる友人。尊敬できる恩師。それは、今の自分につながる小さな点だったのかもしれない。座間で、横須賀で、バンコクで、そしてまた日本で。いろんな状況で、それも決して楽しいばかりではない状況で獣医師を続けて、そして私は12年前とはまったく違う自分だ。でもそれはあの6年間がなかったらありえない自分でもある。
東八道路から武蔵境通りに入ったが、人見街道を左に曲がり、武蔵境へは行かずに帰ることにした。あの大学にはもう何もない。戻る理由はどこにもない。「ペパーミントキャンディ」という映画のように、さかのぼることなんか私には必要ない。24歳の自分より40歳の自分に会いたいから。
同じ道を引き返して帰ってきた。南大沢で同期の病院をちらりと見ながら、事業計画書を自分で書こうかコンサルタントに頼もうか、思い出よりも未来計画だ。

1 Comments:

At 1:08 am, Blogger Dr.Jasmine said...

国分寺とはまたお近くでしたね。どこかですれ違ったことがあったかも、なかったかも?ローカルな話ができそうですね。
時間がたって自分も街も変わって、今なら昔と違う何かを見つけられるかもしれません。次はさかのぼらず、真正面から武蔵境に行きたいと思います。

 

Post a Comment

<< Home