Friday, December 24, 2004

クリスマスイブの診療

私はクリスチャンではないので、クリスマスだからミサに行くということももちろんないし、クリスマスに恋人同士が甘い時間を過ごすのが普通、みたいな昨今の風習は好きではない。街がイルミネーションで彩られ、冷たい風を少し和らげてくれるのはうれしいが、クリスマスだからといって何も彼氏に高いジュエリーをリクエストすることもなかろう、と思っている。欲しいものは自分で買う、それが可愛げのない私のポリシーだ。(お金で買えないものをこそ、大切な人からはもらいたいものだ)
今朝も普通の朝だった。夜はこっそり助手の枕元にプレゼントを置いて、明日職場にお手製の杏仁豆腐を持っていこう、という計画をたてながら、よく晴れた環状八号線沿いの道を歩いて職場に入った。床には心臓を患った老犬が、数日前よりもさらにやせて横たわっていた。「サンダー、また入院したんだねー。」
ところが、そのときもう一人の獣医師がみていたのは、診察台の上で焦点定まらない目で前足を泳ぐように動かしている、黒白の長毛の猫だった。「先生、ギーちゃんです。」
ギーちゃんは今年私がこの病院で仕事をするようになってから、何回か入院するたびに担当していた猫だ。年は15歳くらい、ギーちゃんのお母さんは高齢で、認知障害がひどく介助なしでは生活できないと聞いていた。月に数回、武蔵野に住んでいる息子さんが様子を見に来るほかは、週何回かペットシッターさんが入っている、ということも以前聞いた話だ。
「昨日、反応がないということで来院されたんですが、本当に具合が悪くて一晩越したのは奇跡のようです。」
確かに昨日の血液検査の結果と体温の低さからは、一晩越して朝を迎えられるような状態ではなかっただろう。体重は2ヶ月前の半分ほどしかない。皮膚は脱水で固くなり、目はうつろで手足は意識とは無関係な運動をしている。腎不全の末期症状だ。けいれんを起こすほどに至った腎不全から、回復するのは難しい。それでも、状態を把握し、点滴に血管をひろげる薬を加え、診察の合間には様子をみるしかない。どうやら、ギーちゃんのお母さんはほとんどご自宅にはいらっしゃらず(施設に入った?)1日おきにペットシッターさんが猫たちのごはんとトイレの世話をしに来ていたらしい。主のいなくなった猫たちだけの家。たまたま昨日、様子を見に来た息子さんが、ぐったりと反応のないギーちゃんを見つけ、病院に駆け込んだのだ。
午前中、酸素室となっている小さなケージの中でギーちゃんは少し早い呼吸をしていた。しかし、スタッフが昼ごはんを食べ終わる頃、異変が起きた。「ギーちゃんの呼吸が止まっています!」すぐにケージから出し、酸素マスクをつける。心電図のモニターをつけると、心臓はまだ規則正しく動いているが、自分で呼吸をしない。酸素マスクを通して人工呼吸を続けてやらなければ、心臓は止まってしまう。スタッフ全員で緊急蘇生にかかる。呼吸改善のための薬を口の中(粘膜)にたらし、点滴の速度を速めて血圧をあげる。ゴム製のバッグを通して、人工呼吸を規則的に続ける。その間に、息子さんに連絡を入れる。何回か自分で呼吸をしたが、それも続かない。
ギーちゃんのお兄さんは、仕事があるのですぐには行かれない。自分では決められないので、そちらにお任せしたい。そういう話だったと、電話をかけたスタッフから報告を受ける。
「そう言われても・・・・」命の終わるときを私たちが勝手に決めるわけにはいかない。そうこうするうちに、ギーちゃんはまったく自分で呼吸をしなくなった。人工呼吸で酸素を送り続ける限り、心臓は動いている。脳死状態だ。「すみません、私がもう一度お話してきます。呼吸、お願いします。」
ギーちゃんのお兄さんとは、何回かお会いしている。数ヶ月前には、お母さんが施設に入った後の猫たちのことで相談を受けた。優しそうな人で、自分が猫たちの命を縮めてしまうような決断はできない、そんな感じのする人だ。
自分の名前を告げ、今ギーちゃんが脳死状態であること、人工呼吸をやめれば心臓は止まること、この病院には人工呼吸器がないので、夜を通して呼吸を維持することはできないこと、仮に呼吸が戻っても腎不全が末期であることには変わりはない、そのうえで、呼吸の維持をいつまで続けるかの判断を、お兄さんにゆだねる。人工呼吸をやめれば、心臓が止まり完全に死んでしまうとわかっていて、そうしてくださいと言える人ばかりではない。しかし、ついにお兄さんは理解する。このまま人工呼吸を続けても、夜通し続けられるものではない、つまり、夜、誰もいない病院で最後の時を迎えることになるのだ。
「もし、今、人工呼吸をやめてくださいと言われれば、心臓が止まるそのときまで、私たちがギーちゃんのそばにいます。」
誰もいないところで息を引き取ることよりも、お兄さんは私たちがそばにいるときに、ギーちゃんが天に召されることを望まれた。私は電話を切り、全員に伝える。人工呼吸はやめ、自然に任せること、心臓が止まる最後の時までギーちゃんを見守ること。私と昨日ギーちゃんを見てくれた獣医師、2人で点滴のチューブも酸素マスクもはずし、心電図の端子だけを皮膚につけておく。病院内には心電図の規則的な電気的な音が響く。
「先生、心電図はずして時々聴診するんじゃだめなの?」動物病院のスタッフといえど、心臓の音がだんだんゆっくりになっていくのを聴くのは、心地のよいものではない。
「うん、最後まで見届ける約束だから。音量は小さくするからそのままつけておいて」
ガーゼを濡らしてギーちゃんの口の周りを拭いてやる。やせてしまった顔をなでながら、ふと、自分が最も愛した猫の最後を看取ることができなかったことを思い出す。
ほかのスタッフがそれぞれの仕事に戻る中、獣医師2人だけがギーちゃんのそばにいて心臓の音がゆっくりと眠りにつくようにゼロに近づいていくのを見ていた。人工呼吸をやめてから15分ほどでギーちゃんの心臓は動くのをやめた。
スタッフに小さくありがと、と告げギーちゃんを箱の中に寝かせてあげる。お兄さんは明日お迎えに来ると言っていた。声が少し震えていた。
世間が浮き足立つクリスマスイブであろうと、動物病院では楽しいことばかりではない。できるだけたくさんの動物を救いたい、そう思っても命には限りがあり私たちのできることも限りがある。
今回ちょっとしんどかったのは、ギーちゃんのお兄さんには先月「先生はいつまでそちらにお勤めですか?先生がどちらかに行かれたら、今度はそちらまで診察を受けに行きます。」と言われたこと。ギーちゃんのお兄さんは私を信頼できる、と言ってくれたのだった。信頼してくれた飼い主さんの、猫が死んでしまったのはやはり正直しんどい。
でも、昨日たまたまお兄さんが猫たちを見に行ってギーちゃんを病院に運び込んで、ギーちゃんが今日まで生き延びて、最後を私が看取ってあげることができたのは、少しだけよかったと思う。もし、昨日お兄さんが行かなかったら、ギーちゃんは主のいなくなった家で、さみしく冷たくなっていたのかもしれない。あるいは、昨日の夜のうちに、病院で息を引き取っていたかもしれない。サンタさんは私に、ギーちゃんの最後を看取るという大事な役割をくれたみたいだ。
午後からの診察は何事もなかったように飼い主さんと話をする。普段と変わらないように、哀しい気持ちは表に出ないように。獣医師の仕事でつらいと思うのは、どんなに哀しい出来事があっても、それを次の患者さんに持ち込まないようにすることだ。別に死ぬことに慣れてしまったわけではない。好きで平然としてるわけじゃない。すべての動物に平等に接する、それは、それぞれの状態に応じて接することだ。
ちょっとぎこちなく張り詰めた気持ちで最後の診察をする。サイレン、ごめんね。クリスマスまでに完治しなかった。でも、サイレンのお兄さんがダンボール箱いっぱいのノエビアの新色商品をみんなにくれた。スタッフの歓声があがる。しんどかったクリスマスイブの診療も、最後はちょっと気持ちが軽くなった。ありがとうございました。
メリークリスマス。すべての人に神様のご加護がありますように。クリスマスも、悪くないかも。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home