Monday, April 18, 2005

腫瘍科2年生

今日の日記に入る前に、ホームズ君のことを書いておこうと思う。
バンコクに住むホームズ君のお母さんと知り合ったのは、私が日本に帰国しちゃってからのことで、バンコクに住んでいる頃知り合ったtemarioさんという日本人女性の紹介だった。なんでも当時すでに15歳だったホームズ君が、自己免疫性の皮膚の病気で、ステロイドホルモンの治療をしなければならなくなると言われ、ホームズ君のお母さんが、とても不安になってtemarioさんに相談したところ、temarioさんは私に紹介してくださったのだ。お互いに面識のない、ましてや実際に見ることのできない皮膚の状態を、正確に把握したりさまざまな検査の指示を出したりするのには何通ものメールのやりとりがあった。その結果、私はホームズ君の皮膚の状態が自己免疫性のものではなく、重度の膿皮症、つまり皮膚の抵抗力の低下から普段はなんともない細菌によって湿疹ができてしまうというものだと判断、シャンプーの指定とCharoensuk動物病院への通院を勧め、ホームズ君はステロイドホルモンをまったく使わずに皮膚をほぼ正常な状態まで戻すことができたのである。
その後、日本に帰国してから1年後の世界小動物獣医師年次大会inバンコクで再びバンコクに行ったときに、ホームズ君とお母さんに初めてお目にかかった。ホームズ君に会ったのは後にも先にもそれきりである。しかし、クリスマスシーズンにはクリスマスツリーと並ぶホームズ君の画像の入ったメールをくださり、ホームズ君がまた新しい年を迎えることを私もうれしく思ったものだった。
そのホームズ君とご家族が今年四月に日本に帰国することになったと、昨年のクリスマスのメールで知った。もしかしたら、日本でまたお会いできるかもしれない。ホームズ君とお茶する機会があるかもね、少しだけ期待をしていたが、先日ホームズ君のお母さんからご連絡をいただいた。
ホームズ君は17歳という高齢であり後ろ足も若干不自由だったため、お母さんのご実家で自宅検疫となっていたのだが、腎臓機能の低下により帰国から1週間で天に召されたとのことであった。とても残念であるが、たった1週間でも、お母さんと一緒に日本に帰る時間を残してくれたことを神様に感謝したい。ホームズ君のご冥福を心からお祈りします。

さて、新年度が始まり腫瘍科も2年目を迎えた。今年の新人は5人、そのうち臨床3年目の女性獣医師が私の下につくことになった。オーベン・ネーベン制度といってドイツ語らしい。医学部で行われているらしいのだが、オーベン(先輩)はネーベン(後輩)の指導にあたり、公私共に相談にのったりするというものだ。もし後輩獣医師が何かやらかせば「オーベンは誰だ」と責任を負わされたりするし、学会発表やらモーニングセミナーという英語論文の訳の指導もしなければいけない。論文の探し方も資料の見つけ方も、その他もろもろわからないことに答えなければならない。
今年の3月に腫瘍科の先輩獣医師が何人も抜けたために、腫瘍科のメンバーの半数が2年生以下という事態となった。そうなると、2年生の中からオーベンになる人間も出てくる。オーベンになるのは診療日の小グループである「藩」の藩長クラスや、経験年数の長い先輩というのが慣わしであったが、なぜか今年はちょっと違うようだ。2年生8人中、オーベン3人ネーベン5人、新人の指導にまわる人間が3人出たのだが、3人とも藩長ではない。ついでにいうとこの中で認定医は1人だけだ。さらについでにいうと、認定医に合格しながら指導を仰ぐ側になった人間の方が多いのだ。認定医だからとか藩長だからとか、そういう理由だけでオーベンとして指名されるわけではないらしい。どういう基準で選定されたのかわからないが、今年の2年生はなぜか、弱肉強食・下克上ありの混沌とした人間関係を余儀なくされている。なんだかよくわからなくなってしまったかもしれないが、とにかく、後輩のめんどうを見なければならないのである。この、認定医試験に落ちてしまった私が!藩長になるにはまだ早いと立候補を見送った私が!
はっきり言って、めんどう見てもらえる立場のほうが楽チンである。学会発表のネタを探すのだって先輩が一緒に悩んでくれるし、やばいかな、というときだって支えてくれたりするし、ちょっとした相談だって何だってオッケー、なのだから。ところが、自分がオーベンになってしまうと、相談する相手に困る。もちろん相談する相手がいないわけではないのだが、そこまで親身になって相談にのってくれる相手ではないし、自分の面倒を自分でみたうえに誰かの面倒まで見なければならないのだ。えー、私にそんな実力なんか、まだないよー。しかし、腫瘍学的なことだけでオーベンになるのではなく、飲み会で毎回誰かをつぶしているような人間は決してオーベンとしての資質はない、とされる。当たり前だけど。結局のところ、私はみんなより「大人」で私生活では「お母さん」だというところを買われているのだろう、と思う。それだけで、できるもんじゃないでしょーに。
じゃあ、「できません」と言えるかといったら、そんなこと言ったが最後、腫瘍科で二度とそんなチャンスは回ってこないだろう。できない人間にはできないというレッテルを貼られてしまう、そんな厳しいところなのである。だから、オーベンになってしまった私は、オーベンとしての役割をこなすしかないのだ。内心どんなにしんどくても。なんだか長女って損ね、って感じだ。
「日比先生ならできるよ」何回言われたことだろう。私はできているのだろうか。周りが自分を過大評価しているのではないかと、いつも不安に思う。周りの評価に追いついていない自分。いつもいつも不安だ。

そんなわけで自力で学会発表の症例を探すこのごろだが、たった1年前が懐かしい。先輩にお尻を叩かれるようにして学会発表にこぎつけた。今年はその先輩もいない。自らのお尻を叩くのって、意外と難しいんだな、と思う今日この頃である。

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