Sunday, April 10, 2005

翼の生えた靴を履いて

午前4時に目が覚めているときというのは、どんな気持ちなのだろうか。それは眠れずに朝を迎えつつあるのか、それとも浅い眠りしか得られず目が覚めてしまったのだろうか。金曜日の朝、起きて携帯を見たら、午前4時に会津若松で開業している友人からメールが入っていたことに気づいた。
どうやらいろいろ悩んでいるようであり、そしてどうにもならない、どうにもできない、学生時代と同じように早口の東北弁で気持ちを吐露するようなメールである。
彼女とはだいがくの入学式当日に大学生協主催で行われた新入生歓迎会で同じグループになって以来のつきあいだ。彼女はショートカットにネクタイとスーツで、背も少し高いので一見すると性別が不明であった。そのうえ、名前も男女どちらでも通用しそうな名前なので不思議な人だと思った。出席番号も近かったので、その後も実習などで同じ班になることもしばしばあり、東北訛りの抜けない朴訥とした彼女とはいつもくっついているわけではないが、仲がよかった。学生時代私は柔道部、彼女が剣道部だったので、2人で武道場でおしゃべりをすることも多かった。彼女の話を聞くのはいつも武道場だった。田舎から荷物が届くと、その中に入っていた福島のお菓子を授業の始まる前に「まり、これ」と言葉少なに渡してくれた。秋になってユーミンの新しいアルバムが出ると、それをカセットテープに録音してくれて、やっぱり突然「まり、これ」と私にくれるのだった。まっすぐな性格で妥協ができなくて一生懸命で、いわれのない中傷を受けたりするとひどく傷つき、そんなときも武道場で長い時間、話を聞いていた。
不思議と一緒に遊びに行った記憶は少ない。卒業旅行で九州に行ったときと、卒業間近に同じメンバーでディズニーランドに行った位じゃないだろうか。
卒業してから彼女は平塚の動物病院に就職し、私は座間の動物病院に就職した。ほどなく彼女が私の住んでいた厚木から相模川を渡ってそう遠くないところに引っ越してきたので、私は仕事が終わってから車でまっすぐ帰らず、しばしば彼女の家に寄り道してコーヒーをごちそうになり、夜中まで獣医の話で盛り上がった。コーヒーを差し出しながら「まり、ケーキあるよ。」といって冷蔵庫からケーキを出してくるのが常であった。
卒業して二年目に入るころ、彼女は仕事のストレスから体調を崩すようになり仕事を辞めてしまった。牛や豚を相手にする大動物医療と私たちのように犬猫などを相手にする小動物医療は事情が多少異なる。大動物は産業動物とも言われ、食料であり商品である。だからその価値が重要視されるが、小動物はかけがえのない家族として存在することもあるので、大動物ではあきらめてしまう場面でも小動物ではできる限りの治療を続ける、ということも多い。彼女が就職した病院はもともとは大動物の獣医であったため、彼女は院長の治療方針に納得がいかずとうとうそのストレスで変調をきたしてしまったのだ。
ちょうどその頃、私が勤めていたのは横須賀の病院で獣医師が私を含めて4人しかおらず、毎日がものすごい忙しさであった。そこの院長先生が「アルバイトでもいいから誰か来ないかしらね」と言ったのを私が聞き逃すはずはなく、さっそく彼女に声をかけた。海老名から横須賀まで、通勤するにはちょっと遠いのだが、彼女は横須賀まで来ることになった。後で聞いたところによると、その頃の彼女は獣医という仕事自体に嫌気がさしてしまい、そのまま獣医なんて辞めようかという心境だったらしい。それが横須賀の病院で仕事をするうちに、この仕事の楽しさを思い出したのだということを、横須賀の病院の院長先生に語っていたのだそうだ。
それから数ヶ月彼女とは一緒に仕事をしていたのだが、その年の12月、彼女は開業準備のため福島に戻り雇われ院長をすることになった。彼女の引越しの日、荷物をすべて積み込むと、帰ろうとする私の背中に彼女が声をかけた。「ありがとう。まり、好きだよ」
それからは頻繁に会うことはできないけれど、夏休みに会津若松まで会いに行ったり、結婚式に呼んだり、最近はメールという便利なものがあるので、たまーに連絡をとりあっている。お互いに忙しくてとてもじゃないが、ゆっくり休みをとってなんていうことができない。
会わないからといって、友達じゃなくなったわけではなく、お互いにどうにもならなくなったときにこそ、頼る相手として存在している。もともと私は悩みを人に打ち明けたりすることはほとんどないのだが、フィリピンにいるときに猫が具合悪くなったときは泣きべそかきながら、彼女に電話をして話を聞いてもらった。2年位前にも、朝5時過ぎにメールがきて、返信してまたメールが来て返信して、結局そのときは電話がかかってきて話を聞いた。
本当は今回も話を聞いて欲しいし私の声を聞きたかったのだろう。朝の4時の、彼女の気持ち。

そう思うといてもたってもいられず、昨日仕事が終わってからそのまま東京駅に向かい新幹線に乗って郡山まで行き一泊して、今朝9時半に会津若松に立っていた。別に遊びに行くわけではない、顔を見るだけ見せるだけなのだから、日帰りでも問題はない。ただ、あちらは診療時間なので邪魔をしないように、仕事の手伝いをできる着替えと聴診器を持参した。
駅からタクシーに乗り、病院の前でおりると、彼女のお母さんが彼女の娘を連れて散歩に出ようとしているところである。駆け寄って声をかける。「こんにちは、ごぶさたしてます。」「あらあ、まりちゃん?どうしたのー?」「昨日ちょっと郡山で用事があったので、足を伸ばして顔を見に来ました。(うそ)」すると、お母さんは病院の中に入り、彼女を呼んできた。彼女は私を見るなり大きな目をうるませて「まり・・・」と一言だけ言うと私に抱きついてきた。おいおい、患者さん見てるよー。^^;
いかにも何事もなかったかのように偶然こっちの方に来たことを強調したが、彼女にはわかったに違いない。私が翼の生えた靴を履いて、私たちを隔てる距離をひとっとびしてきたことを。だいたい、洗い立ての外科着(スクラブという)と聴診器を持ってでかけるなんて不自然だ。確信犯だ。
日曜日でスタッフが少ないので診療の手伝いにまわり、犬を保定したり点滴の機械を調節したりする。それにしても忙しいな。夫婦2人が獣医で、午前の診療が終わる12時になってもまだ7件も診察待ちになっている。近隣でも評判がいいのか、喜多方市や裏磐梯からも患者さんが来ている。それは友人として誇らしい限りである。
お昼ごはんを一緒に頂き、午後の診療が始まる4時よりも前に出発した。駅までは彼女のお母さんが送ってくれるというのだが、お母さんがいないと子供の面倒を見る人がいなくなってしまう。だから、4時にはお母さんが戻れることを計算する。電車の時間は4時37分の磐越西線、新幹線は郡山6時1分だ。ゆっくりしていけば、というお母さんに、乗り継ぎの関係でおみやげをゆっくり買えないので早めに行きます、と告げる。
たった6時間の滞在、その間も仕事しているから会話も多くはないし、肝心の話はできなかったのだけれど、少しは気晴らしになっただろうか。

大学5年生から6年生にかけて、私が精神的に完全に参ってしまったとき、私はそれを誰にも相談することがなかったので、仲のよかった友達は誰もそれに気づかなかった。それがみんなに伝わったとき私は今度は完全に体調を崩し、数日間入院する羽目になった。それはちょうど国家試験の模擬試験を学内で行うときであり、私は試験を1回受けることができなかった。そんなことよりも、私は参ってしまっていたのである。いろんなことに。
そんなときも、彼女は多くを語らなかったけれど、目の前に現れては「まり、これ」といって試験の資料や予想問題なんかを手渡して、短い会話をして、じゃあと去っていく。いつも同じスタンスで、離れることもくっつきすぎることもなかった。でもお互い好きだった。異性ならともかく、同性でこんなふうに好きだと思える人は他にいない。
そんな友人がいることを私は幸せに思う。そして、私がいる、ということが彼女の支えに少しでもなれたのなら、それもまた幸せだと思う。
れいちゃん、明日も頑張って行こうぜい!!

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