Monday, December 25, 2006

世間が御用納めの日に

世間の御用納めのあとも仕事は普通にある。今年はたまたまおおみそかが自分の休日にあたっているし、愛川町のお正月シフトで若手が元旦に入ってくれたので変わりに水曜日に出勤することになり、少しはお正月気分を味わえそうな気もする。
白血球が1400に下がっていた猫は、なんとか普通のレベルまで持ち上がり、貧血も改善し、元旦と2日にボランティア出勤することは免れそうだ。お正月くらい、猫も家族も安心して過ごしたいよね。よかったよかった。でも、この猫、元気になったとたんにものすごく食べ始め、数日で300グラムも体重を取り戻してしまった。違う病気になりそうでこわい。

この間嬉しかったのは、リンパ腫の治療後定期的に診察を続けていたテリー君が、抗がん剤終了から1年をもって、2週間毎の定期健診を2ヶ月ごとにしたことだ。今じゃ普通の背中の広いおじさん犬となってしまったが、初めの頃はいまより5キロも体重がなくて、病院大嫌い。犬も変わるものだ。私の
「病院も悪くないかも、と思わせよう大作戦」が功を奏し、車大好き、病院大好き、ひび先生だーい好きになって、お姉さんの通院に対する心理的負担が減り、経済的負担を乗り越え、晴れてこの日を迎えることができた。お姉さん、通ってくれてありがとう!!ささやかなお祝いに、テリー君には前日ペットショップで買ってきた「豆乳と紫芋のショートケーキ」をプレゼントした。それと、自らも甲状腺切除をしながら頑張ってくれたお姉さんには、ちょっとキュートな犬の形をかたどった携帯ストラップをプレゼント。テリー君にはさらに首輪につけられるおしゃれな迷子札もプレゼント。こうして一緒に喜ぶことができて、本当に幸せです!!

横須賀時代の患者さんで大学病院にも通っていたMちゃんは、体重が少し落ちたもののまだまだ頑張っていると主治医の先輩先生からご連絡をいただいた。K先生ありがとうございます!3月のワイン色の血尿から考えると、その生命力には驚嘆するとおっしゃっている。Mちゃんのお母さんも「よくなってくると、つい夏まで、秋まで、クリスマスまでって、欲が出てきちゃうのよね」と話されていたから、このクリスマスはひとつの目標であったはず。1日1日をかみ締めるように、新しい年を待ちわびているに違いない。がんばれ、Mちゃん、お母さん、K先生!

さあ、私も買い物に行って新年を迎える準備をしなくちゃ。・・・と思ったら、まだ今月のお給料をいただいていませんでした。えーと、買い物は控えめにしとこう。
^^;

Friday, December 22, 2006

忘年会でリクルートの巻

水、木は腫瘍科の忘年会で熱海に1泊した。いやいや、正確に?いうと、「大学腫瘍科OBの主催する熱海での1泊の勉強会」に参加した。1泊するので、食事と宴会がついてくる、というのが一応模範解答。北は岩手から南は・・・どこだっけ。今年は岡山の先生が不参加だから大阪の先生かな?
さらに説明を付け加えると、この忘年会への参加は腫瘍科における「4つの参加DUTY」の一つである。4つの中身をいってしまうと「新入生歓迎会、夏の河口湖合宿、熱海の忘年会、卒業生送別会」の4つ。腫瘍科そのものと関係ない遊びのように聞こえるかもしれないけど、こういう行事で親睦を深めておかないと、大学病院で一番研修医の多い腫瘍科がなかなかまとまらなくなってしまうので、いつからか知らないけどDUTYになっている。もちろんこれは腫瘍科独自なので、他の診療科には関係なし。
そうだよね、職場で歓迎会とか送別会とかやるのに「今日はデートがあるので失礼しまーす。」とか「ちょっと用事あるんで」とかみんなが言ってたら全くまとまらないし。いくつもの手術を滞りなくこなすには、チームワークは不可欠。そうでなくても個性豊かなメンバーの集まっている腫瘍科だもの、これくらいのルールが必要なのだろう。
今年は、秋の学会で研修医が発表したものを忙しくて聞けなかったOBのために披露する場となった。それから、名古屋の先生の病院紹介。(この先生を私が「アニキ」と勝手に呼んでいるのは同じカワサキのバイクに乗っているから、という中学生のような理由である。)アニキ、相変わらず忙しそうだなー。最終の新幹線で帰ってしまった。
勉強会が終わると宴会が始まるまでの間、自由時間になる。熱海といえば熱海温泉。熱海のお湯はしょっぱいから、いまいち。温まるけど、顔についたり指に傷でもあったりするとしみて痛い。因幡のシロウサギの気持ちがちょっとわかる。多分、動物の傷を生理食塩水で洗うのもしみるだろうと思われるので、私は傷を生理食塩水で洗いたくない。お湯につかってのんびりしたいところだが、白血球が1400になってしまったネコのことが気になって気になって仕方ない。一瞬でいいから病院に行きたい。そう思っていたら本日出勤のR子ちゃんからメールが入っていた。そうか、自力で食べ始めたのか、ちょっと安心、ありがとR子ちゃん。

さて、今日の本題。宴会の最初のうちに、OBの先生のところに行って4月からアルバイトをさせてもらう話をした。大田区の病院は3月いっぱいで辞めることになっている。でもまだ開業の準備は整っていない。次の職場を探さなくてはならない。
今の職場の日給は悪くはない。でも朝、助手を起こして間もなく家を出て、電車を4本乗り継いで、他の先生が診ないものを診て、他の先生ができないことをする。それでも日給は3年間変わらないし、今では他の先生と同じ日給になっている。自分の価値が相対的に下がっていくような気もするし、自分の時間に無駄が発生している気がする。日給だけで仕事をするわけではないけど、それは自分の価値とか評価とかを反映するものだ。それならば、もっと私にとって有益であったり時間が増えたりするように仕事をしたい。今年は年明け早々から悪性腫瘍が続いていたけれど、それもほぼ終わりそうだ。あとのことはR子ちゃんが頑張ってくれるだろう、多分。
私が話をした先生の病院にアルバイト勤務している腫瘍科研修医の先生は、4月から他の病院に移ることが決まっている。動物病院が忙しくなる4月にいきなり人が減るのは痛い。そこを狙って話を持っていった私は、もちろん確信犯。双方の思惑が一致したということで、4月から週3回、立川市内の動物病院での勤務が決定。まさかお酒の席だということでなくなったりしないかな、ちょっと不安。^^;

まだまだ先のことだけど、いつかは職場を提供する側にまわれるといいな。きっと私の病院は、私のパラダイスだから、来たらみんな幸せになるよ!実現まであと( )か月・・・・・・

Sunday, December 17, 2006

はしのすけ参上


みなさん、こんにちは。僕は大田区在住の「はしのすけ」って言います。だいたい13歳くらい、6年位前から今のお家に住んでいます。毎日、朝ごはんをもらったら、あとは夕方まで眠っているのが仕事です。夕方は6時15分になるとお腹がすいてくるので、誰かそのへんにいる人に申告します。最近足腰が弱ったせいで、高いところからの上り下りが苦手になりました。怪我をするのは嫌なので、そんなときもそのへんにいる誰かに申告します。
お水は蛇口から流れる新鮮なやつしか飲みません。でも、自分で蛇口を操作できないので、これもまたそのへんにいる誰かに申告します。

こういうのを居候って人間は言うらしいんだけど、僕には大事な役割があります。それは、僕のそばにいる人を癒すことです。だらだらしてたり、食っちゃ寝して生活したり、何もかもがここにいる人たちのペースとは違います。「猫の手も借りたい」と言われても、貸さないようにしています。じゃないと、みんなが成長しないからね。とにかく、だらだらのんびり、忙しいのはどこふく風、という状態を維持するのも結構大変です。ただ、おせんべいが出てきたときだけは一生懸命です。それなのに、誰も僕にはおせんべいを分けてくれません。

ここの人たちは時々、何かつらいことがあると、僕をつかまえてじっとしています。時々しょっぱいものが降ってくることもあります。僕はもう若くないので塩分を控えるようにしているのですが、そういうときだけは何も言わず我慢してあげます。
でも、ひび先生はあんまり僕をつかまえません。そんな暇がないくらい忙しいとか、泣いたら負けとか、お局に涙は似合わないとか、よくわからないことを言っています。そんな先生を見て、周りの人は「先生はまぐろみたいに止まったら死んじゃうからね。」と言います。まぐろ、僕はぜひ中トロがいいです。
先生は先生なりに僕を愛してるとかいって、特別にご飯を買ってくれます。前は、太り気味な僕のために、糖尿病用のたんぱく質がたっぷりのご飯を買ってくれました。お肉味がすごく美味しくてそのうえ、6.7kgあった体重が6.3kgまで減って、すごくかっこよくなりました。でも、僕の嫌いな血液検査で腎臓がちょっと悪くなっていたので、そのご飯を食べることができなくなり、一時期は余りもののご飯(注;処方食期限切れ寸前)とかをみんなが出してくれたんだけど、先生はお小遣いでフランス製のおいしいご飯(ロイヤルカナン)を買ってきてくれるようになりました。味もよくてたんぱく質も制限されていて品質がいいよって言ってたけど、僕は美味しければ何でも好きです。

最近、みんなが僕のためにカンパを集めてふかふかベッドを買ってくれました。写真はそのベッドでお昼寝(もしかしたら朝寝か夕寝)をしているところです。先生は500円もカンパしてくれました!抱っこもしてくれないし、血液検査したり僕のおできの手術をしたり、痛いことばかりする先生だけど、もしかしたら、僕のこと好きなのかなーってちょっとだけ思います。

みなさん、こんな僕に会いにきてくださいね。 by はしのすけ

Monday, December 11, 2006

ジョン天国へ行く

今朝未明、愛川町の動物病院の居候ジョンが天に召された。成犬になってから迷い込んできたので享年不明。いやしくてすぐびびる、情けない駄犬だといわれながらも、何となく憎めない存在であった。
手術をして脾臓を摘出したのは先月の20日のことだったから、あれから3週間しかたっていない。ジョンの脾臓にはいくつもの腫瘤が存在していて、それらは病理検査で「血管肉腫」と診断された。悪性の腫瘍である。決定打となるような有効な抗がん剤はいまだ研究中のような状態で、運がよければ抗がん剤を使って1年くらい生きることもあるが、手術してもしなくても、あるいは抗がん剤を使っても使わなくても3ヶ月くらい、といわれてしまうこともある。腫瘍認定医2人を擁する動物病院の居候犬が、何もこんな悪性の腫瘍で死ななくたっていいのに、神様は本当に試練がお好きなようだ。
昨日午後、出勤していたスタッフたちは、ジョンが亡くなるときそばにいてあげていたらしい。誰もいなくなった病院で、寂しく息を引き取ったのでなくてよかった。みんなに看取られ、最期は苦しむこともなかったそうだ。その後、スタッフは夜遅いというのに、ジョンの体を洗ってきれいにしてやり、今ジョンの亡骸は第2入院室のケージの中で、白い箱に入っている。
ジョンのバカ。昨日、ペットショップでおやつバイキング、2袋分も買ってきたのに。

先週は、今年2月から大学病院に通っていたKちゃんも亡くなったとご連絡をいただいた。骨肉腫で前足を断脚したKちゃんは、3本の足で力強く歩き、お母さんと一緒に大学で抗がん剤の治療をうけていた。しかし、次第に状態が落ちてきたため、抗がん剤治療を中止したのだった。自分が初診のときから担当していた犬が、Ⅲ期がん宣告(人間でいうところの末期がんかな)になったのは初めてだったから、あれからどうしているのだろうかと、気にはなっていた。
Kちゃんは、少し前から鳴きどおしとなっており、床ずれも多くなり、最終的にお母さんは苦渋の末安楽死という道を選択された。電話口で「わたし、一番嫌だと思っていたことをしてしまいました。」と涙をこらえた声で話されていたが、安楽死は最後に残された救いの手段だ。勇気をもって決断されたお母さんを、Kちゃんは決して恨みはしない。むしろ、骨肉腫で痛む脚を切ったことで、文献では余命100日と言われている時間を2倍以上に伸ばすことができ、おいしいものを食べ、自分の足で歩き回り、何より、お母さんの愛情をたっぷりと注いでもらうことができた。Kちゃんは目元の優しげな女の子だった。きっと今頃は、大学でお友達になった子達と雲の上を走り回っているだろう。

犬の幸せって何なのかなって、いつも考える。病気になったら可哀想?死んだら可哀想?それはちょっと違う気がする。生老病死、生きるものはいつか老いたり病んだり、不意の事故で命を終えるもの。だから、病気になることとか死ぬことは、自然のことなのだ。お別れするのは悲しいことだけど。
犬が生きている間、どれだけ幸せを感じていたか、それが一番大切で、たとえ若くして天国に行ったとしても、愛情をたくさん注がれていた犬は、幸せだったと思う。
限られた彼らの時間をよりハッピーにするのが、家族の使命だと思うし、それを医療の側から支えるのが獣医師の役目だと思っている。
ハックや翔ちゃんが、家族の愛情に満足しているかどうか、それは聞いたことがないけれど、お別れのときがくるまで、変らない愛情を注いであげなくちゃね。

Monday, December 04, 2006

ママ10周年

先週の土曜日、助手が10歳になった。ここまで長い道のりであったような気もするし、あっという間だったような気もする。クラスでも一番背が高いという助手は、横に並ぶとほぼ目の前に顔があって一瞬驚いてしまう。ママ、ママと言ってくれるのもあと何年だろう。将来の夢は相変わらず「ママと同じ動物の医者」と言ってくれるが、夢は多いほうがいいと話している。私の背中を追わなくてもかまわない。自分の夢を持ち、自分のなりたいものになり、自分の信念に従える仕事をしてくれたらいいなと思う。
バンコクの記憶も少しずつ遠くなっているのだろうけれど、いまだにエンポリで買い物をしたときスコールで道が洪水になり、膝までつかりながら帰ったことを話すことがある。それと、エンポリの「SUMO」のアイスグリーンティ(抹茶みたいなやつ)」が美味しかったということ。次に行くときときにはパスポートを更新しなくちゃいけない。それくらい、時間がたってしまった。
そのうち画像もアップして見ようかな。みなさん驚くかな?