Friday, December 31, 2004

雪の大晦日

昼過ぎに降り始めた雪は1時を回る頃には吹雪のようになり、本院の院長からの指示ですぐに帰宅することになった。電車4本を乗り継いで通勤しているので、どこで何が止まるかわからない。
横浜、海老名でそれぞれ電車が遅れてはいたけれど無事に帰宅、昨日作りきれなかったおせち料理の続きを作り、今は年が明けるのを待っている。
今年もいろいろあった。自分の1年を振り返るのは誕生日の時と決めているけれど、やはり大晦日は特別だ。また来年も家族が健康でありますように。周囲の人がみな幸せでありますように。
そして、私を支えてくれたすべての人に感謝します。・・・なんて、ここで書いても伝わらないか。

Thursday, December 30, 2004

年末の貴重な休みに、年賀状を書いている。準備が悪いといえばそれまでなのだが、トップギアで突っ走ってきたこの1年間、もうすぐ新年を迎えるというモードに入るのがかなり遅かった。テレビも見ない生活なので「年賀状はお早めに」という呼びかけも知らず、買い物もほとんど行けないので、最後に買い物をしたときの店頭がクリスマスだった、そのままなのだ。5年前に購入したプリンタも一番大事な黒だけが印刷されないという有様なので、筆ペンで1枚1枚宛名を手書きしている。その裏面はスタンプで何とかごまかす。市販のデザイン年賀状は圧倒的にニワトリをデザインしたものが多く、来年も飛翔したい私としては高く飛べないニワトリは縁起物でもちょっと・・・、と思う。かといってスタンプで気のきいたデザインもないので、受験を控えた身ゆえ桜のスタンプで華やかさを演出することにした。新年を迎えるにあたり新年の一大事がもはやちょうど1ヶ月後に迫っているので、なんだか余裕ない。あーあ、情けないな。
朝も昼も食べていないことに気づいたけれど、あまりの忙しさに胃もおかしくなってきたのか空腹を感じない。私をよく知る人間ならば、これが大変なことだと気づくはず。1日中お腹すいた、と言っているような私が、食事を抜くことができる、というのは信号が黄色から赤に変わる寸前であることが多い。ま、いっか。明日仕事したら2日間休みだし、新年のごあいさつの合間にはだらだらさせてもらおう。(そんな時間があるとは思えないけど)
おせち料理も作ってない。買い物もしていない。これだけ忙しいのに市販されている豪華なおせち料理を買おうと思ったことがない。独身時代は、ささやかなおせち料理を作り自分用には小さな重箱に詰め、残りは勤務先の病院にもって行った。フィリピンでは手に入る材料を使っておせち料理を作ったのだが、日本料理の食材がタイ以上に高く、ものすごく高価なおせち料理になってしまった。
最近は、実家の母が作るものを少しわけてもらったり、自分の好きなものだけを作ったりしている。娘二人が嫁に行った今では、夫婦二人のためにおせち料理を作ると無駄が出る、そういうわけで忙しい娘たちと料理を余らせたくない母との間に、交渉は成立するのである。どんなに便利でも、おせち料理は手作りのほうがよい。そりゃ、手もかかるし、見栄えもできもよくはないけど。
年賀状の宛名を書き終えたら、イトーヨーカドーかサティで買い物をしてこよう。煮しめぐらいは自分で作りたいし、玄関に花くらいは飾りたい、賃貸住まいなので大きな門松はたてられないけど、鏡餅と門松は必需品だ。明日は仕事なので買い物するなら今日しかない。今夜は遅くまで煮しめ作りかな。アメ横行きたいなあ、でも無理だ。それにしても、今年は何時までエンジン全開なのかなあ・・・。

ついさっき、テレビのニュース速報で、奈良の小学生女児誘拐殺人事件の犯人が逮捕されたと伝えていた。同じ小学生の子供をもつ親として、この事件は大変ショッキングで、ご両親をはじめとする肉親の方々のお気持ちは想像にかたくない。助手に同じことが起こったら?正気でいられるわけがないだろう。被害者の女の子のご冥福を心よりお祈りします。

明日は雪が降るらしい。バイク通勤は無理だな・・・・

Wednesday, December 29, 2004

就職斡旋?

今日は雪がふった。せっかくの休みなのに、バイク乗れないぢゃないか・・・。というのも、今日は若い獣医師を一人、愛川町の病院に紹介したら実習に行くというので、一応保護者よろしく顔を出すことにしたのだ。知らない人ばかりのところに行くのは心細かろう、仲介役がいたほうがみな無用な緊張をしないだろう、と思ったもので。愛川町ならバイクでしょ、と思っているのだが、さすがに天候の悪い日はバイクには乗らないようにしている。自分の運転技術の未熟さは自分がよくわかっているから。
バスで行くと、今日は土曜日ダイヤになっているのでいつもよりも本数は少ないうえに、いつもと違う路線でちょっと離れたバス停でおりて10分ほど歩かないといけない。この雪降る中を歩くのか・・・・音がなくてさみしいから歌でも歌おう。でもここで「雪は降る」(ニールセダカ)にするか「雪のクリスマス」(ドリカム)にするか「ブリザード」(松任谷由実)にするか、考えているうちについてしまった。
今回紹介したのは、以前、私がバンコクから帰ってすぐに勤務した横浜の病院に、夏休みの学生実習にきていた男の子で、彼はそのまま4月からそこに就職したのだが、仕事以外でも厳しい院長と折り合いが合わずに先週退職したのだそうだ。心身ともに疲れて、とメールがきたときには(やっぱりなー)と思った。
その病院を円満退職した獣医師は開業してから20年もたっているのに一人か二人しかいない、というのは決して噂ではない。私も辞める直前は仕事そのものが嫌だと思うくらい、自分自身が磨耗しきっているのを感じていた。限界がきて辞めたいと院長に告げたとき引き止められたけれど、週に3回も終電の1本前で帰宅して、院長が月の半分くらい留守にしているのを任されて、それでも「先生はお子さんがいるからパートね。」と言われるのにも、その先生の弟子のように言われるのも我慢できなくなっていたので、やめさせてもらった。35歳にもなって、どうしてこんな扱いを受けるんだろう、と思うくらい惨めな気分だったのは、多分一生忘れない。最終的には院長先生は私のことをずいぶん認めてくれていたらしいと、ほかのスタッフから聞いたけれど時すでに遅し、であった。彼も似たりよったりな状況、あるいはそれ以上につらかったらしい。
彼と仕事をしたことはないのでどれくらい仕事ができるか、ということはまったく知らないのだけれど、素朴で協調性もあるということは聞いていた。獣医としてはまだ8ヶ月だから、すごくできる、ということは期待していない。誰かが面倒をみてやらなきゃいけない、となると結局私がみることになるのだろう。それでも、愛川町に獣医師が一人増えることは病院にとってもプラスになる。彼にとっても格安の住居つきの職場は魅力があるらしい。(仕事の鬼?の指導つきは覚悟のうえらしいし)
大学の同期の先生も10月からここでアルバイトをしている。夏まで勤めていた病院を辞めてアルバイト先を探しているというので、私が引っ張ってきた。やはり、自分の職場には一緒に仕事をして気持ちのよい人にいて欲しいし、ほかのスタッフともうまくやっていけるようでなければ困る。
自分の職場がヘンなところだったら、友人・後輩を引っ張ってきたりしない。愛川町には若い先生が成長するための条件がいくつかそろっているので、二人に声をかけた。勉強して、それを実践するチャンスと、ポイントを指導してくれる先輩と、症例の数。私自身が後輩に教えてやれるほど優秀な獣医師ではないけれど、自分がもっているものを伝えて乗り越えていってもらえばよいし。田舎町なようで意外と症例は多いし、何しろ院長は放任主義だ。おかげで私は自分の力を思う存分発揮させてもらっている。お給料は決して高くはないけれど、自分が信念を持って仕事をすることができるしスタッフはみないい人ばかりだ。だから、こうして休みの日に顔を出すのもちっとも嫌ではないし、差し入れにドーナツくらいはもって行きたくなるし、ついでに仕事の一つや二つも片付けてきたりもする。
大学の同期の先生も、丁寧に診察をして一生懸命勉強して、何より仕事を楽しんでいる。獣医師はこれが大事だ、と思う。楽しい仕事ばかりではないけれど、仕事を楽しいと思えなければ、よりよい結果を出せないから。獣医の「よりよい結果」とは?それは決して治療成績ではなく、売り上げでもなく・・・眠いからそれはいつか、また別のときに。病気を治せるだけがいい獣医師ではないし、学生時代の成績がよくっても獣医師として優秀というわけでもない。だから、私が目指してるのは・・・・やっぱり眠いからやめた。
明日は早起きして年賀状の続き。すっかり忘れてた。そしてこんなときにプリンタが調子悪くて使えない。しくしく。

Monday, December 27, 2004

年末年始休診のお知らせ

とうとうクリスマスも過ぎた。まだ年賀状を一枚も書いていない。年が暮れようと明けようと、世間のような正月休みもないので年末年始気分にはあまりなりにくいのかもしれない。しかし、最近はこの時期になると頭を悩ませる問題が浮上する。「年末年始休診のお知らせ」あるいは「年末年始診療時間変更のお知らせ」である。
2つの動物病院に勤務しているが、どちらもそれぞれ年末年始の診療スケジュールが違うので頭も混乱するし、診療の計画がたてにくいのだ。今週から午前診療になったり、お正月3が日は休診だったり、31日まで通常通りだったり、年明けてから4日まで午前中2時間だけ診療したり。そこへもってきて自分の中の歳時記がお正月になっていないので、ついいつもと同じように「じゃあ来週また午前中きていただいて、夕方お迎えで」なんて言ってしまい、ほかのスタッフから「先生っ、来週は午前中です」とか「先生、そこはお休みです。」と言われてしまう。
正月3が日はまあ日本全国的にお正月なのかもしれないが、年末なんか一般的には28日が御用納め、ということは普段、仕事帰りにご飯をとりにくる人とか夕方でないと時間が作れない人は、午前中来いなんて、常識から考えて無理な話では?どうしてクリスマスの翌日から午前中しか診療しないのか、理解しがたい。スタッフだって普通にいるのに、私だっているのに、午後は診察しないんだって。というか、そこに診察をいれようとしたら止められた。残念ながら、本院の院長先生が決めたことをくつがえす権限もなく、自分ひとりで診療をしているわけでもないので、私の一存で午後でいいですよ、とかは言えない。
でもでもでも。治せるものも治すなってこと?まだ御用納めにもなっていないのに午前中に来なきゃだめだって?
そんなことをぼやいたら「まあ、そういうことになっていますから。」といさめられた。(ToT)独身の君らには、わかるまい。そういうことって、どういうこと?自分の仕事が忙しいときに、子供を病院に連れて行かなきゃいけない気持ち、自分以外のことで周囲に迷惑かけちゃったりとか。そんなことを言うと次には「子供と動物は違いますから」って言われちゃうんだろうけど。
みんな仕事があるんだよ。他に代われる人のいない仕事。そんなに簡単に休めない仕事。大切な動物のためといって、一般社会がそのために仕事を休むなんて普通は認めないんだよ。(父親ですら子供が熱出しても会社は休めないんだよ、日本は。)それなのに、ここ一番ていうときに仕事をぬけなきゃいけない気持ちなんか、君らには絶対まだまだわからない。だから、午後休診がどれだけ迷惑をかけるか、わからないでしょ?自分のこと以外で仕事を休まなきゃいけないことなんかないからわからないでしょ?
ただでさえ非常勤の私に都合を合わせてもらったりしているのに、このうえ時間まで制限したら通えるものも通えない、というか実際そのために年内に検査を入れることができなかった。治ると見込んだ傷も治しきれなかったのに、まだ通ってもらわないといけない。薬でコントロールできないホルモンの病気だっているのに、午前中しか診察できないって、午後具合が悪くなったらどうするのだろう?この申し訳ない気分を私はどうしたらよいのだろう?
横須賀は年中無休、祝日も盆暮れ正月も診療時間の変更はなかった。当直もある病院だったので、当時下っ端だった私は2年連続で、除夜の鐘が鳴るとき診察室で急患を診察してた。年末年始や祝日はみんなで調整して少しずつでも休みを取れるようにしていたから、世間ほどではないけれど仕事も普通にしたし休みもあった。そんな横須賀は、よかった。横須賀に帰りたかった。あんなところでずっと仕事をしていたかった。(今は帰る、というよりあそこをお手本にする気持ち。)
年末年始、人並みに休みたい気持ちがないわけでもないけれど、休んでしまったら治療に差し支えることもあるから休むのも落ち着かない。せめて休みではない日くらいは全日診療させてほしい。スタッフの休みも必要だけど、午後休診にするのはどんな意味があるの?
疑問に思うのは、非常勤で限られた時間にしか診療できないという制限をうけている私だけ、なんだろうか?
ちなみにBangkok Cyber Vetは、年末年始のお休みはありません。いつもどおり時間のあるときに掲示板チェックと日記つけと、メールのお返事をお出しします。

Friday, December 24, 2004

クリスマスイブの診療

私はクリスチャンではないので、クリスマスだからミサに行くということももちろんないし、クリスマスに恋人同士が甘い時間を過ごすのが普通、みたいな昨今の風習は好きではない。街がイルミネーションで彩られ、冷たい風を少し和らげてくれるのはうれしいが、クリスマスだからといって何も彼氏に高いジュエリーをリクエストすることもなかろう、と思っている。欲しいものは自分で買う、それが可愛げのない私のポリシーだ。(お金で買えないものをこそ、大切な人からはもらいたいものだ)
今朝も普通の朝だった。夜はこっそり助手の枕元にプレゼントを置いて、明日職場にお手製の杏仁豆腐を持っていこう、という計画をたてながら、よく晴れた環状八号線沿いの道を歩いて職場に入った。床には心臓を患った老犬が、数日前よりもさらにやせて横たわっていた。「サンダー、また入院したんだねー。」
ところが、そのときもう一人の獣医師がみていたのは、診察台の上で焦点定まらない目で前足を泳ぐように動かしている、黒白の長毛の猫だった。「先生、ギーちゃんです。」
ギーちゃんは今年私がこの病院で仕事をするようになってから、何回か入院するたびに担当していた猫だ。年は15歳くらい、ギーちゃんのお母さんは高齢で、認知障害がひどく介助なしでは生活できないと聞いていた。月に数回、武蔵野に住んでいる息子さんが様子を見に来るほかは、週何回かペットシッターさんが入っている、ということも以前聞いた話だ。
「昨日、反応がないということで来院されたんですが、本当に具合が悪くて一晩越したのは奇跡のようです。」
確かに昨日の血液検査の結果と体温の低さからは、一晩越して朝を迎えられるような状態ではなかっただろう。体重は2ヶ月前の半分ほどしかない。皮膚は脱水で固くなり、目はうつろで手足は意識とは無関係な運動をしている。腎不全の末期症状だ。けいれんを起こすほどに至った腎不全から、回復するのは難しい。それでも、状態を把握し、点滴に血管をひろげる薬を加え、診察の合間には様子をみるしかない。どうやら、ギーちゃんのお母さんはほとんどご自宅にはいらっしゃらず(施設に入った?)1日おきにペットシッターさんが猫たちのごはんとトイレの世話をしに来ていたらしい。主のいなくなった猫たちだけの家。たまたま昨日、様子を見に来た息子さんが、ぐったりと反応のないギーちゃんを見つけ、病院に駆け込んだのだ。
午前中、酸素室となっている小さなケージの中でギーちゃんは少し早い呼吸をしていた。しかし、スタッフが昼ごはんを食べ終わる頃、異変が起きた。「ギーちゃんの呼吸が止まっています!」すぐにケージから出し、酸素マスクをつける。心電図のモニターをつけると、心臓はまだ規則正しく動いているが、自分で呼吸をしない。酸素マスクを通して人工呼吸を続けてやらなければ、心臓は止まってしまう。スタッフ全員で緊急蘇生にかかる。呼吸改善のための薬を口の中(粘膜)にたらし、点滴の速度を速めて血圧をあげる。ゴム製のバッグを通して、人工呼吸を規則的に続ける。その間に、息子さんに連絡を入れる。何回か自分で呼吸をしたが、それも続かない。
ギーちゃんのお兄さんは、仕事があるのですぐには行かれない。自分では決められないので、そちらにお任せしたい。そういう話だったと、電話をかけたスタッフから報告を受ける。
「そう言われても・・・・」命の終わるときを私たちが勝手に決めるわけにはいかない。そうこうするうちに、ギーちゃんはまったく自分で呼吸をしなくなった。人工呼吸で酸素を送り続ける限り、心臓は動いている。脳死状態だ。「すみません、私がもう一度お話してきます。呼吸、お願いします。」
ギーちゃんのお兄さんとは、何回かお会いしている。数ヶ月前には、お母さんが施設に入った後の猫たちのことで相談を受けた。優しそうな人で、自分が猫たちの命を縮めてしまうような決断はできない、そんな感じのする人だ。
自分の名前を告げ、今ギーちゃんが脳死状態であること、人工呼吸をやめれば心臓は止まること、この病院には人工呼吸器がないので、夜を通して呼吸を維持することはできないこと、仮に呼吸が戻っても腎不全が末期であることには変わりはない、そのうえで、呼吸の維持をいつまで続けるかの判断を、お兄さんにゆだねる。人工呼吸をやめれば、心臓が止まり完全に死んでしまうとわかっていて、そうしてくださいと言える人ばかりではない。しかし、ついにお兄さんは理解する。このまま人工呼吸を続けても、夜通し続けられるものではない、つまり、夜、誰もいない病院で最後の時を迎えることになるのだ。
「もし、今、人工呼吸をやめてくださいと言われれば、心臓が止まるそのときまで、私たちがギーちゃんのそばにいます。」
誰もいないところで息を引き取ることよりも、お兄さんは私たちがそばにいるときに、ギーちゃんが天に召されることを望まれた。私は電話を切り、全員に伝える。人工呼吸はやめ、自然に任せること、心臓が止まる最後の時までギーちゃんを見守ること。私と昨日ギーちゃんを見てくれた獣医師、2人で点滴のチューブも酸素マスクもはずし、心電図の端子だけを皮膚につけておく。病院内には心電図の規則的な電気的な音が響く。
「先生、心電図はずして時々聴診するんじゃだめなの?」動物病院のスタッフといえど、心臓の音がだんだんゆっくりになっていくのを聴くのは、心地のよいものではない。
「うん、最後まで見届ける約束だから。音量は小さくするからそのままつけておいて」
ガーゼを濡らしてギーちゃんの口の周りを拭いてやる。やせてしまった顔をなでながら、ふと、自分が最も愛した猫の最後を看取ることができなかったことを思い出す。
ほかのスタッフがそれぞれの仕事に戻る中、獣医師2人だけがギーちゃんのそばにいて心臓の音がゆっくりと眠りにつくようにゼロに近づいていくのを見ていた。人工呼吸をやめてから15分ほどでギーちゃんの心臓は動くのをやめた。
スタッフに小さくありがと、と告げギーちゃんを箱の中に寝かせてあげる。お兄さんは明日お迎えに来ると言っていた。声が少し震えていた。
世間が浮き足立つクリスマスイブであろうと、動物病院では楽しいことばかりではない。できるだけたくさんの動物を救いたい、そう思っても命には限りがあり私たちのできることも限りがある。
今回ちょっとしんどかったのは、ギーちゃんのお兄さんには先月「先生はいつまでそちらにお勤めですか?先生がどちらかに行かれたら、今度はそちらまで診察を受けに行きます。」と言われたこと。ギーちゃんのお兄さんは私を信頼できる、と言ってくれたのだった。信頼してくれた飼い主さんの、猫が死んでしまったのはやはり正直しんどい。
でも、昨日たまたまお兄さんが猫たちを見に行ってギーちゃんを病院に運び込んで、ギーちゃんが今日まで生き延びて、最後を私が看取ってあげることができたのは、少しだけよかったと思う。もし、昨日お兄さんが行かなかったら、ギーちゃんは主のいなくなった家で、さみしく冷たくなっていたのかもしれない。あるいは、昨日の夜のうちに、病院で息を引き取っていたかもしれない。サンタさんは私に、ギーちゃんの最後を看取るという大事な役割をくれたみたいだ。
午後からの診察は何事もなかったように飼い主さんと話をする。普段と変わらないように、哀しい気持ちは表に出ないように。獣医師の仕事でつらいと思うのは、どんなに哀しい出来事があっても、それを次の患者さんに持ち込まないようにすることだ。別に死ぬことに慣れてしまったわけではない。好きで平然としてるわけじゃない。すべての動物に平等に接する、それは、それぞれの状態に応じて接することだ。
ちょっとぎこちなく張り詰めた気持ちで最後の診察をする。サイレン、ごめんね。クリスマスまでに完治しなかった。でも、サイレンのお兄さんがダンボール箱いっぱいのノエビアの新色商品をみんなにくれた。スタッフの歓声があがる。しんどかったクリスマスイブの診療も、最後はちょっと気持ちが軽くなった。ありがとうございました。
メリークリスマス。すべての人に神様のご加護がありますように。クリスマスも、悪くないかも。

Thursday, December 23, 2004

肩書き

昨日、買ったばかりの携帯電話を落としてしまった。気づいたのが今朝で、ものすごくあせったのだけれど、これを見越したかのようにデュアルネットワーク契約というのを月額300円で申し込んでおいてよかった。端末からの操作で今までの携帯movaが使えるのだ。とりあえず今までの携帯を使えるようにしたところで、同期の女の子から電話がきた。「携帯あったよー。」昨夜食事をした店で発見されたらしい。300円なんて安いものだとしみじみ思った。恥ずかしい・・・・。
ところで、人間は一般的に肩書きに弱いものだと思う。時によりつくづく思う。というか、思い知らされる。若く見えるのも損をしているような気がする。若いアルバイトの先生。どれくらいの人がそう思っているのだろう。
臨床獣医師の一般的なパターンとしては5年くらいどこかで代診や勤務医をしてから開業をするのが多いだろう。そうすると、私の年齢ではもう開業して7年目くらいの院長先生も当たり前に存在する。この間行ってきた同期の先生は29才で院長先生だ。
「院長先生」という肩書きは絶大だ。たとえ院長先生が10年前常識だった古い治療法をしていたところで、飼い主さんはあまり疑いの目を向けないだろう。しかし、週1回程度しかいない私にたまたま当たった飼い主さんは、最新の知識をもって治療にあたる私には、「本当に大丈夫なの?」という態度をあらわにすることも少なくない。「だって院長先生は・・」というのが彼らの常套文句だ。院長と名がつけば、なんでも信用するのかな。
あんまり詳しく書いていると、これを読む人の中には診察室でお会いする方もいるので、まずいかなとも思うのだけど、一応個人的な日記だから吐露しちゃおう。
世の中の開業している院長先生たちの中で、セミナーと名のつくものにきちんと行っている先生がどれだけいるものか。もしみんなが行っているのであれば、セミナーは満員御礼、ぎゅうぎゅうになるはずだ。でも、セミナーになんか来ない先生がたくさんいる。本当にたくさん。セミナーは若い先生たちだけのためのものではない。でも、若くない先生たちは少ない。休みの日ぐらい、のんびりしたいんだろう、院長先生は。そして不勉強になり、わからないことは適当にこねくりまわして大学にマル投げするようになる。でもそれでも院長先生なのだ。(飼い主さんから診療費取るなよー。)
そして、どんなに勉強しても、どんなに一生懸命治療しても、しょせん私は「非常勤の若い先生」でしかない。(それほど若くはないんだけどね)
その点、大田区の病院はそこにいる獣医師が私が最年長でだいたい30代前半、誰が出て行ってもみんな若い先生なので、あまり飼い主さんから差別されることもない。おかげで、管理のめんどうくさい難しい内分泌の病気はみんな最年長、いやキャリアの長い私のほうへと任されることが多くなる。
飼い主さんには、獣医師が何をしているのか、よっぽどのことがなければそれがよい治療なのか、よくない獣医療なのかわからない。院長先生という肩書きのついた、ヤブ医者だっているはずだ。適当な治療と説明で、飼い主さんから診療費を取っている、そんなヤブ医者にさえ、ただの非常勤獣医師の私は肩書きではかなわないのが、本当に悔しい。
肩書きは、ついてしかるべき人間についてこそ、だと思う。そんな私は診察室で年齢を聞かれたらひとつ年上にさば読むし、子供の話を出したりして、今日も必死に自分は若くないことをアピールしている。肩書きとの闘いは常に繰り広げられている。

Tuesday, December 21, 2004

雪だるま来院?

動物病院では、飼い主さんから頂き物をすることが結構ある。ペットホテルのお預かりのとき、退院のとき、お歳暮のようなこともあるし、トリミングのお迎えのときにいただくこともある。女性の多い職場だからか、甘いものが多いのだろうか。気をつけていないと体重が知らぬ間に増えていたり、洋服がきつかったりという光景があちこちで見られる。普段からの食事管理が必要と思うのだが、私よりも6~10才若いスタッフたちは、あまり気にしていない様子。お姉さんは知らないぞ。私はこっそりカロリー調節して食べてるんだもん。
いろいろな頂き物をするせいか、お菓子類についてはみな詳しくなっていく。どこのクッキーがおいしいとかどこのケーキが好きだとか。そんな風にたいがいのものには驚かなくなっていくスタッフも今日ばかりはちょっと驚いた。朝一番の宅配便で届いたのは、なぜか「雪だるま」と書いてある。何だろ??送り主は飼い主さんなのだが、雪だるまとはこれいかに?だって、開けたら溶けちゃうじゃーん。という心配をしつつも、真っ先にダンボールを開ける私。中から出てきたのは発泡スチロールの雪だるま。「開ける瞬間が大事よね。」とか言いながら発泡スチロールを開けると、中からはホワイトとミルクの生チョコレート!!本当に雪だるまが出てきたらどうしようかと思ったよー。生チョコレート嬉しいぃ。おーいしーい!!みんな大喜び!!
サイレンちゃんのお兄さん、ありがとうございました。おいしくいただきました。火曜日に届いたのは、担当した二人の獣医師がいる日だからかな?
ちなみに学生時代は毎日板チョコ1枚は食べていました。最近は量より質、時々蒲田の東急プラザでゴディバのチョコをちょぴっと買って頬張るのがささやかな幸せです。

そうそう、今日仕事の帰りに携帯電話の機種変更をした。ついでにmovaからFOMAにした。今年に入ってから1週間あちこちで仕事したり勉強したりしているので、携帯電話の活躍することといったら、携帯電話のメール、携帯電話からアクセスしてメールのチェック、もちろん緊急の連絡も入るしこちらからもかける。通信料が馬鹿にならないので、とうとうNTTdocomoの手の内に落ちることとなった。
その程度の理由なので、オサイフ代わりになったりする必要もないし、テレビ電話も必要ない。一番安いのでもいいのだけど、もうすぐ新しい機種が出てきたらおそらく手に入らなくなる機種がどうしても欲しかった。ライムグリーンの綺麗な携帯。蒲田駅前でその機種はあと1台、しかもその色だけが残っていた。運がいいな、私って。しかもドコモのポイントがあったので携帯端末本体の値段は0円であった。
ところでバンコクで使っていたone-2-callは、どうも来年2月で番号が使えなくなりそうだ。その前に行って通話料を追加したいけど、スケジュール的に無理なので、もう一度WEBで追加できないかチェックしてみよう。もし無理だったら・・・次回から何か考えなくちゃね。

納豆が欲しいとき

23日、天皇誕生日の祝日に腫瘍科の同期で集まって認定医試験の勉強会をするというので、みんなで記述問題の予想問題を作ることになった。まとめ役の先生の都合で締め切りが早くなり、こんな時間に問題を作っている。乳腺腫瘍について問題と解答例を作りながら、ちょっと眠い。
それよりも困るのは、夜中におなかがすいてくることだ。それも納豆が食べたいと思っている。たいていそんなときは疲れがたまってきたときで、納豆に刻んだねぎと大葉と茗荷を混ぜて、あったかいご飯にかけて食べたい。疲れがたまるとごちそうも食べたくなくなる。おかずもお味噌汁もいらないから、納豆ご飯だけ食べたい。
不思議なことに、疲れがたまってきたときと熱が出る直前だけは食べたいもの欲しいものが限定される。トマトジュースが飲みたくなるときはたいていその晩熱が出る。あの赤い色とうすい塩味がどうしても自分に必要と思われるのだ。トマトジュースにさらに少しだけ塩をふりレモンを絞ればさらにカンペキ。
今は、納豆だ。多分疲れている。治りきらない風邪で意外と体力を消耗しているのかもしれない。でも、仕事もしなきゃいけないし、腫瘍科のデータを統計する作業も年内に(22,23日)にやってしまいたいし、勉強会もあるし、自分自身の試験勉強もある。正月休み、といっても仕事はほとんど通常通りなので元旦だけが正月休みだ。大学が休みの日も仕事を入れてしまった。
合間に家族サービスをはさみつつ、大人って大変ですねー、などといい年をして言ってしまう。サンタさん、私に時間と強靭な肉体と飼い主さんの笑顔をください。お願いだから、クリスマスくらい「治ってよかったね」とだけ言わせ続けてほしい。

Sunday, December 19, 2004

振り向かないぞ

今日は休みなのだけれど、今年八王子市内で開業した腫瘍科の同期の病院を手伝いに、というか、遊びに行ってきた。私もいつかは開業、と最近あちこちで言っているので割とみんなオープンにいろいろ教えてくれる。融資の申し込みと物件探しはどちらが先か、とかいくら借金したとか。また、病院の内部も将来ぜひ参考に、と思うので多くの病院を見学に行くことは私にとっては遊びではなく必要なことなのだ。
空気は冷たいけど天気はよい。そして病院は昔大学まで車で行くことがあったとき、通った道筋にある。これはバイクで行くしかない、とばかりに朝8時前からエンジンを暖める。
野猿街道から少し入ったところにあり、獣医師夫婦2人とトリマーさんがいるだけの、まだ新しい病院。でも、彼らは大学病院の研修医を経験しているので、若いけれど意識は高い。数年後、間違いなくあの地区でも信頼のおける病院としてにぎわっているだろう。待合室も居心地がよく、病院特有の圧迫感とか無機質な感じはない。開業するとき一番悩む検査機器はいいものをそろえている。
日曜は午前診療なので、終わったあと少しお茶をいただいておいとまする。さあ、天気がいい。どうしようか?まっすぐ帰らず、そのまま府中方面へバイクを走らせる。昔、府中に祖母が住んでいて、母と一緒にこの道を通った。その祖母は今、大田区池上のおばのところに同居しているが、複雑な事情があり会うことができない。
国道20号、甲州街道に入るとさすがに車が多い。学生時代、車の免許を取ったばかりの私に、友人が車のキーを渡して運転させてくれた、というか運転させられた。お金はないけど、時間があった頃、みんなで私の運転を楽しんだ、というか面白がっていた。
府中街道から東八道路、通称30メートル道路に出る。ここを三鷹方面へ行けば、卒業した大学は近い。昔、一緒にバンドを組んでいた女の子は、この道をバイクで通っていた。まだ免許のなかった私は彼女がバイクで遠ざかる後姿を、うらやましく思った。
大学は中央線の武蔵境という駅の近くにある。私立大学では歴史があるのだが、知名度は低い。大学の規模も小さいし、何度も移転問題が起こったり、不正入試事件があったり、経営移管問題があったりと、あまりよいことで取りざたされない大学なのが悲しい。同世代の卒業生の中には全国区で活躍するような獣医師も多く、それは誇りに思うのだが、大学自体はくやしいくらい問題山積みがいつまでも解決されない。
獣医学科は6年間の修業年限が決められている。武蔵境の6年間、なんだったのかな。
年数のわりに、楽しかった思い出があまりない。高校の3年間のほうが、ずっとずっと楽しかったし思いでも多いような気がする。6年間、友達もいたし恋もしたしサークル活動もした。もちろん勉強にまつわる話もいくらでもあるけど、自分がそこにいることに、いつも違和感があった。オチこぼれ、だったのかもしれない。ヤマをかけて勉強するのなんかバカらしかったし、本当だかどうだかわからない人の噂のネタにされるのも嫌だった。そこから逃げるようにぎりぎりで卒業してぎりぎりで国家試験をパスした、それが私の12年前だ。二度と大学になんか戻らない、そう思った。12年後、こうしていることなんか誰も想像してなかった、と思う。
あの6年間で何を得たのかな。獣医師国家資格。信頼できる友人。尊敬できる恩師。それは、今の自分につながる小さな点だったのかもしれない。座間で、横須賀で、バンコクで、そしてまた日本で。いろんな状況で、それも決して楽しいばかりではない状況で獣医師を続けて、そして私は12年前とはまったく違う自分だ。でもそれはあの6年間がなかったらありえない自分でもある。
東八道路から武蔵境通りに入ったが、人見街道を左に曲がり、武蔵境へは行かずに帰ることにした。あの大学にはもう何もない。戻る理由はどこにもない。「ペパーミントキャンディ」という映画のように、さかのぼることなんか私には必要ない。24歳の自分より40歳の自分に会いたいから。
同じ道を引き返して帰ってきた。南大沢で同期の病院をちらりと見ながら、事業計画書を自分で書こうかコンサルタントに頼もうか、思い出よりも未来計画だ。

受験生ひび

試験勉強をするのは久しぶりだ。数年前に受けたTOEICは別として、落ちるわけにはいかない試験というのは12年前の獣医師国家試験以来だろう。国家試験は2日間にわたって行われ、科目数も比較にならないほど多かったので今となっては記憶はかなり曖昧だ。ただ、会場の私の席は一番前の中央、試験監督の目の前で、彼のネクタイの柄がセンスないなと思ったことはよく覚えている。そして、試験が終わった後、新宿で寄り道しようという気が起きないくらい消耗しきった2日間だった。
今回の試験は1月30日、日本獣医がん研究会の大会の2日目、すべてのプログラム終了後に行われる。今回の受験者数は70名程度だということだ。そう多くはないと思われるだろう。受験資格があっても受けない、受ける自信のない獣医師も少なくないということだ。そして、私たち腫瘍科の受験者は「合格して当たり前」というプレッシャーがつきまとう。しかも同期の連中はトップ合格をこっそり狙っている。
トップじゃなくてもいいから、とにかく勉強しなくちゃ。そう思いながらも日記を書いてしまった。はあ。

Friday, December 17, 2004

新しいキズ治療の落とし穴

いま日本ではR-25という名前のフリーペーパー、というか無料配布の雑誌がある。リクルートがつくっているのだが、短めの記事や有名人のインタビューや、書評、それから彼女へのプレゼントに最適と思っているらしいつまらないものを紹介している、ちょっと電車の中でひまつぶしに読むにはちょうどいい雑誌だ。25才前後の男性を意識して作っているせいか、私から見ると「男の価値はそんなもんじゃないだろう」と思ってしまう記事も多々あるのだが、つい手にしてしまう。
金曜日の朝、横浜駅でそれを手に入れ、職場で回し読みするのが最近の習慣になっている。でも、今週のR-25はちょっと気になる記事があった。Johnson&Johnsonから最近発売されたバンドエイド(これって商標だっけ?)は今までの傷治療の概念を大きくくつがえすものだ、という記事だ。
昔から、キズは消毒して乾かして治す、と言われてきた。かさぶたになれば、あと少しで治る、などと言っていたような気もする。しかし、最新の外傷治療は「傷は乾かさないで治す」モイストウーンドヒーリング(記事中ではモイストヒーリング)が常識となってきているのだ。
キズはよく水で洗い、消毒剤を使わず、湿った状態を保つことでキズの治癒が促進される。「えー、湿ってたら雑菌が繁殖しちゃう」と言うことなかれ。きれいに洗浄した傷ならば、ちょっとやそっとのばい菌(非学術的用語)なんかには負けないようにできている。おまけに、生体というのは水分が多く含まれていて、水なくしては体は生きていけない、水分の存在なしには生命を維持することはできないのだ。お肌だって乾燥は敵だ。同じように、キズを受けたところも、新しい細胞を呼び集め皮膚を再生するためには水分は欠かせないのだ。
そして、消毒剤だが、意外とこれが正常な組織や新しく作られてきた組織を傷めてしまい傷の治癒が遅くなることがわかってきた。ものすごく感染をおこしているときは別だが、ちょっとくらいだったら水でとにかく洗うほうがよいのだ。生きている体ってすばらしいなー。
そして最後に、湿潤した環境、つまり生体と同じ環境を作るために使われるのが「ハイドロコロイド」と呼ばれるもので、動物用でもさまざまな材料が使われている。今回雑誌で紹介されているバンドエイドもその原理を応用したものだ。そして、この原理によりキズの治癒が促進される。かさぶた作るよりもずっときれいに治る。私も顔にキズを負ったら、ぜひこれで治そうと思っている。
しかし、だ。ここで声を大にして言いたい。もし、そのキズが細菌感染を起こしているのなら、湿った環境でふたをするようなバンドエイドは逆効果だ。
このバンドエイドを使用するときは、とにかくキズをきれいにしなければならない。ちょっとでもうんでしまったキズに使ったらものすごいことになってしまうかもしれない。
以前勤務していた病院で、この方法で治療をしていた。たまたま私が休みの日に、そこの院長先生が診察をした。その後、しばらくその犬は来なかったので、私はもう治ったので来なくなったのだと思っていた。それから1週間後にその犬が診察に来た。そして飼い主さんが開口一番こう言った。「先生、なんだかどろどろ出てくるんだけど」・・・・。腕に巻かれた包帯が膿の色に染まっていた。ほとんど治りかけていたキズは無残にも溶けたような皮膚にべったりとクリーム色の膿がからまり、さらに悪いことに皮膚の下ではもともとのキズよりも広い範囲まで組織が腐っていた。元の木阿弥、というか悪化している。カルテには詳細が書かれていなかったので、助手の女の子を呼んで聞いたところによると、私が診た次の院長の診察のときに、院長先生がキズの処置を飼い主に自宅でするようにと、創傷治癒促進材のパッドを渡したのだという。飼い主さんは言われたとおり3日に1度、それをただ交換していた。しかも表裏逆にして。飼い主さんはそれが何なのかはまったく理解していなかった。専用のガーゼくらいにしか思っていなかったのだろう。ひょっとしたら、院長先生もよくわかっていなかったのかもしれない。
(ToT) ちゃんと説明したぢゃーん。それ以来、私はその病院でそのパッドを飼い主さんに処方するのを禁じた。(院長より強い?)これはただのガーゼではないのだ。専門家たる獣医師の判断のもと正しく使われるべき、知識の必要なものなのだ、とスタッフにも説明した。高い診療費とっておいて、それはないでしょ?
それからは、自分以外にこのパッドを使った経験のある獣医師がいないときは、できるだけ慎重に対応するようになった。使い方一つで、悪化することもあるのだ。
というわけで、キズの新しい治療というのは、大変科学的で生体にとっていいものなのだが、ひとつ間違うとえらいことになってしまう。そのへんの落とし穴をもうちょっと雑誌でも取り上げてほしかったと思う。
みなさん、傷はよーく洗いましょう。水道水でも十分、と言われているがバンコクの水道水なら一度沸かしたものを使いましょう。私も東京の水道水で洗うのは嫌なので、滅菌状態の生理食塩水を使っていますが、湯冷ましで十分です。そして、生体の素晴らしい修復力をたたえ、乾燥させないようにしましょう。ちなみに、裏わざとして「サランラップで巻く」というのもあります。もし家庭でワンコが怪我をしたりしたら、汚れたところは水で洗って、サランラップで巻いて、靴下はかせたりタオルで巻いたりして乾燥させないようにして病院に連れて行きましょう。これだけで、キズの治りやその後の炎症度合いがずいぶん違います。

日記

昔日記をつけていた時期があった。小学校の、いつだったかは覚えていないけれど、毎日日記帳に出来事や考えたことを書いておくと、母が赤いペンでコメントを残してくれた。日記というよりは、出来事を書き記すということで物事を忘れない、というほうが大きかった。ピアノの発表会でドレスを着るのは恥ずかしいとか、学級委員になったとか、どうでもいいことも書いてあったが、それに対して母が短いコメントを残していた。
中学生になってから、日記帳は鍵のかかる引き出しに入れるようになった。別に隠すようなことを書いていたわけではないが、思春期ともなるとなかなか母親にでも話せないことが出てくるのだ。もっと華奢に生まれたかったとか、憧れの先輩が卒業してしまったとか、他愛もないことなのだが見せることでもなかった。
高校2年生のときに、日記をつけるのをやめてしまった。ものすごく悲しいことがあって、それにまつわる話もたくさん書いてあって、読み返すのがつらくなったので、日記帳を開くのが嫌になった。そして、それは大人になってから処分してしまった。
4月に研修医になったときに、どこかに独り言を書こうと思いついた。はじめはHTMLで書き始めてみたのだが、生活が慌しくめんどくさくなってしまった。その前後、結婚してアメリカに住んでいる友人がbloggerをおしえてくれた。友人のご主人の親友(私にとってはまったくの他人だけど)がbloggerというのを利用しているよ、と。さっそくのぞいてみたのだけど、それは英語のサイトだったのでやっぱりめんどくさくなって、結局日記計画は保留になった。
最近、雑誌などでライブドアーのブログの広告ページを目にすることになって、また日記計画が浮上してきた。でも、メジャーどころでというのは、私は好きではない。それ以外でもいろいろあったのだが、なんとなくピンとこない。そんなときに、雑誌か何かでブログの記事があり、以前英語だったのでめんどくさくなってしまったbloggerを思い出した。どうせなら、みんなと違うほうが面白いかな、と思って。
そしたら、ダッシュボード(というらしい)が日本語になっていたので、日記をつけてみることにした。単純。頭は余計なところで使わない、といいつつ無駄に使う私なのだが、英語は文献だけでたくさん、なのでこれはいいとばかりにとびついてみた。3日坊主になってないので、まあえらいかな、と自分では思っている。さあ、もう寝よ。

Thursday, December 16, 2004

腫瘍科忘年会

毎週水木は大学病院だが、今週はセミナーと忘年会をかねての熱海一泊旅行だった。この旅行は腫瘍科研修医のOBが主催し、わられがボスと現役研修医、そして全国各地からのOBをまじえての懇親会でもある。今年はボスがDVDつきの腫瘍外科の本を出版したこともあり、普段から取材でお世話になっている(している?)出版社からも2名、労をねぎらうということで参加された。総勢42名、ほとんど獣医という濃い集団である。
午後から始まるセミナーは、大学病院腫瘍科におけるさまざまなデータの統計をとったものが紹介されたり、腫瘍科において診断が難しかった症例について検討を行ったりした。腫瘍科OBにとってはこれらの統計や症例検討はとてもためになる、と口々に言う。何もかもがシンプルに診断に導かれるわけではなく、診断とは総合評価により下されるのだから、どのようにそれを導き出すか、ということが重要なのだ。腫瘍学とは、腫瘍に関する知識や技術だけでなく、腫瘍の診断と治療に関わる全てについての思考回路の構築である。巷の一般獣医の先生方には、この思考回路が難しいのだ。
そして、このセミナーの様子は来年出版されるDVDつきの本の第2巻に一部収録されることになっている。本の巻末とDVDの最後には腫瘍科研修医の名前も出るので、第2巻には私の名前も出る。実はちょっとそれが楽しみ。本の価格は4万5千円。獣医学の専門書も専門性が高くなれば3万5h万は当たり前で、日本でも有数の、というかアジアでも指折りの腫瘍外科医が自分の手技をDVDにした本の価格としては決して高くはない。私の大学時代の友人も予約して購入したと言っていた。
夜は当然大宴会、あちこちに挨拶に回るのでゆっくり食べていられないのが残念だけど、福岡や岡山から来た先生とゆっくり話す機会もそうそうない。
2次会は、ボスの部屋にほぼ全員集合で、今年入った研修医から順にニコラシカの洗礼を受ける。ニコラシカとは、ショットグラスにブランデーを入れレモンスライスでふたをしてお砂糖を少しのせたものを、そのレモンを口に入れながら飲み干すというカクテルで、何杯も飲めば当然アルコール血中濃度は急上昇する。それ以外にもOBたちに飲まされてしまうので、お酒に弱い人がだんだん部屋から消えていく。幸い、アルコール濃度が急上昇したところで私は自分のペースを取り戻し、相当飲んだが醜態をさらしたり翌朝つらくなるようなことはなかった。単なる酒飲み?いえいえ、人並みです。
明けて翌日はボウリング大会。そして解散、今年もご苦労様でした。
と、これでおしまいと思ったら帰宅したところに、研修医副主任の先生から電話がかかってきた。「日比先生、来年も継続希望でしたよね?ボスが「ひびちゃんは今度卒業だろ?」って言ってたんですけど、多分ひびき先生と勘違いされてるんだと思うんですけど、念のため確認です。」だって。もちろん継続です。あー、びっくり。

Wednesday, December 15, 2004

夜なべしてます^^;

今は12月15日になって30分くらいたったところ、日付は15日だけど時間の流れとしてはまだ14日。こんな時間に実はちょっと必死?に自分のカーデガンを編んでいる。大田区の職場からはユザワヤが近いため、今年は早々に毛糸を買い込みかなり早いペースで編んできたのだが、途中からちょっと油断し、年内の仕上がりが微妙になってきた。そこで、「15日に着る」という目標をたて、最後の追い込みのまっただなか。あと何時間やるんだろ??
 バンコクにいるとき、ユザワヤがあったらな、と何度も思った。路線バスの乗り方を教えてもらって、中華街まで行き、サンペンレーンで生地を買ったりボタンを探したりした。便利とはいいがたかったけど、とにかく安かったので、助手の服、自分のスカートはもとより、友人の子供にもプレゼントした。さすがに毛糸は買わなかったな。
 そんなことを思い出しながら、一休み、の雑記。時は金なり、夜なべ、しよ。

Tuesday, December 14, 2004

ハック、健康診断に行く

 今日は仕事が休み。先月、他の先生と出勤日(休み?)をトレードしたのだ。ああ、なんだか気分的に余裕だなー。そんな日こそ、ハックと翔ちゃんの健康診断をしなくては。最近忙しくて、バイクで5分の実家にもよれず、ハックも翔ちゃんもほったらかしなのでちょっと反省をする。
 ハックなんか、最近門扉を鼻先でちょんちょんと持ち上げて開けるという芸当を自ら考案したらしく、縁側の横にしきられている自分のエリアからいつの間にか出て玄関の前をうろうろしていたと母が報告してくれた。13年目にして、やっとわかったのか、なんかほのぼのだな・・・。そういえば、以前飼っていた宙太というアメリカンショートヘアーはキッチンのドアを開けることができた。それも、ドアノブに両手でぶら下がり器用にもガチャガチャと回してあけていた。開けても閉めることはしないので、冬場は家族のブーイングの嵐であった。残念なことに宙太は7年前、大学病院で腎臓移植を受け、退院当日の採血で無理な保定をされせっかくくっつけた新しい腎臓がぶっちぎれるという、同じ大学病院で研修医をしている身には絶対許しがたい医療事故で6歳で亡くなってしまったが、あれは投稿ビデオに最適だったと、今でも家族の話題に上る。
 朝から実家の車を借りてハックと翔ちゃんを乗せ、愛川町まで。こんなとき、大田区はさすがに遠くて残念だ。あそこのエコーのほうが性能はずっといいから、心臓までチェックしちゃうんだけど、行くまでに興奮しすぎてしまうだろう。それは検査としてあまり意味ないのであきらめる。
 今までも毎年血液検査はしていた。ハックも翔ちゃんも気が小さいので、病院ですごみをきかせるなんてことはない。翔ちゃんは診察台のうえに乗せると、あごをちょっと上を向かせるだけで採血が済んでしまう。ちなみに、実家でのんびり横になろうものなら、近くに寄ってきて私の髪の匂いをかいだかと思うと頭にかみつく翔ちゃんである。ハックも情けないもので、診察台に乗せようと抱きかかえる姿勢をとるだけで、伏せてしまう。診察台に乗せたらこわくて立ち上がれない。体重20kgの堂々たる体格とは大違いのこの気の小さいのは、誰に似たんだろう?私の心臓には剛毛が生えているといわれるのに。
 今年、ハックはお腹のレントゲンも撮った。知らないうちに何かできてたら嫌だから。この8ヶ月間、大学であまりにも多くの腫瘍症例を見たので、自分自身ちょっと敏感になっているんだと思う。
 大学に来る動物たちが、みな10歳を超えた老犬とは限らない。まだ5才や7才といった、決して老齢ではない犬も少なくない。動物も人間もいつか、その生命が終わるのは十分承知だし、その始まりから終わりまでつきあう覚悟のこの仕事だ。それでも、正確な誕生日のわからないハックが、いつ何があってもおかしくない年齢に十分さしかかっていて、そう遠くはないいつか、私を見つめるハックの瞳に二度と会えなくなってしまうのかと思うと、大学病院の診察室や待合室で目が潤んでしまうのを禁じえない。できるだけのことは、全部してやりたいよね。ハックは私が初めて飼った犬で、私が獣医師になって最初の年からずっと私を見ててくれたんだ。
 結果は二人とも問題なし。だからと言って100%何もないというわけでないが、何もしなければ何もわからない。やるだけのことはやっておかないとね。私が自分の病院を作るまで、頑張って長生きしててね、ハック。
 
 

Thursday, December 09, 2004

大学病院の、年内の診療・手術がすべて終わった。このあと4週間、年末年始をはさんで休診となる。だからといって、仕事があるから長いクリスマスバケーションというわけではなく、来週は腫瘍科OBをまじえての勉強会やら認定医試験対策やらがあるし、その次の週はどうしても診察が必要な犬猫のためにボランティア診療と呼ばれる日もある。何よりも、この年末年始は仕事しながらとにかく勉強をしなくてはいけないのだ。
この1年は早かった。昨年の秋、腫瘍科の見学にきて、学生時代は成績優秀ではまったくなかった私でも本気で頑張ればついていけるかもしれないと、研修願書を提出した。研修医になるには、研修費も納めなくてはいけないし、仕事をする時間も減るため収入も減ってしまう。家にいる時間も相当減ってしまう。それでも、今勉強しなければ、あとになって大学で勉強する時間はないだろうと、いろんな覚悟を決めての願書提出であった。
収入減るのは、やっぱりちょっと痛いなあ・・そう思っていたら、何故か、分院長ポストが2件、副院長ポストが1件、オファーがあった。どの話も、私の身に余るお話ばかりだった。特に、大学時代の研究室の恩師が西東京市に作られた動物病院の、分院長のお話は、お金の話なんかそっちのけで本当に名誉なことだと感激したものだ。長年、たとえパートタイムであろうと時給1000円であろうと、つらいことがあっても地道に獣医師を続けていたことへの、神様からのごほうびかと思った。その病院自体、就職することが大変難しいといわれているところの、分院長である。
もうひとつの分院長ポストは現在週3回勤務している病院である。分院をオープンして以来、毎年分院長が変わるので、今後は経営も任せられるキャリアのある人材を探しているとのことだった。何度かスペシャリスト向けのセミナーでお会いした鶴見の比較的大きな病院の院長先生が、私の獣医力(正しい単語ではないが)をご存知ではないのにお話が舞い込んできた。年収はそれまでの軽く2倍になるくらいを提示されてきた。
しかし、結局、どのお話も「大学の腫瘍科で勉強するので」とお断りした。大学時代の恩師は「もう少しおうちが近かったらアルバイトにきて欲しいんだけど」とまで言って下さった。(うれしくて涙出そう)もうひとつの病院は結局院長先生に押し切られるように、アルバイトに行くことになった。いろいろ制約の多い病院であったが、なぜか私は制約の外側のようで、比較的自由にやらせていただいている。収入倍増のチャンスではあったが、タイミングが悪いというのは自分にとって最良のタイミングではないから結果に結びつかないということだろう。
そして、4月から、周りよりも少し年上の腫瘍科研修医となって、忙しい毎日である。生まれて初めての学会発表もしたし、英語の文献も今までで一番たくさん読んでいる。すごい手術もたくさんみたし、自分自身、手術にかかわるスタッフとしてちょっとは成長したと思う。この間数えてみたら大小合わせて130件の手術がこれまで行われていた。腫瘍の手術ばかりこの8ヶ月で130だ。ものすごく濃い、と思う。覚悟を決めて研修願書を提出してよかった。多分、昨年の自分よりも伸び率は異常に大きいのではないだろうか?周囲の理解と協力もあって、充実した時間だった。
ついこの間、来年度の研修の意向のアンケートがとられたので来年度も継続するとこたえた。来年も、多分同じ病院でアルバイトをしながらの研修医生活だ。この充実した1年の余韻のなかで、この1年を後悔なく締めくくれるように、あと少し、がんばろう。

Tuesday, December 07, 2004

診療費の話

「ちょっと検査とかにお金がかかりすぎるの、血液検査はしなくちゃいけないのかしら。」
マルちゃんはホルモンの病気で2週間ごとに血液中のホルモンを測ったり、薬の影響でどこか調子が悪くなっていないか血液検査をしている。そのうえ、肝臓の薬、心臓の薬、そしてホルモンを作り出す臓器を少しずつ壊す薬を飲ませなければいけない。
「これって、ずっとでしょ?1ヶ月に7万も8万もかかるんじゃ、ちょっとねえ・・・」
薬は治療に必要だから削れないとして、マルちゃんのお母さんは、高額なホルモン検査や血液検査を減らしたいらしい。1回に2万円くらいは検査でかかるのだ。それが月2回は、確かに大きい。
「1ヶ月に1回じゃだめなの?」
過剰な検査をしているつもりはまったくない、本当に必要なときに必要な検査をしているのだ。その最低ラインが2週間。おまけに、院長に叱られるの覚悟で1カプセル2000円の薬をその料金で出しちゃってるのだ。
実はこの間の日曜日、映画を見に行こうと準備をしていたときに病院から電話が入った。同僚の先生からだ。「先生、マルちゃんが下痢していて食欲も落ちているらしいんです」・・・・ああ、薬の副作用かもしれない。ホルモン治療の薬の減量とホルモン剤の補充を指示して、自宅での様子によって薬を帰ることを伝えてもらう。「血液検査、します?」・・・本院の院長的にはここは血液検査、と言うのだろう。しかし、マルちゃんの病気の状態は通常の検査ではわからない。高額なホルモン検査をするのか?
ここで、知識と経験にフル稼働してもらう。この病気で一番大切なのは臨床症状だと、アメリカの内分泌の権威Dr.フェルドマンも言っていた。
「血液検査はいいです。食欲がなかったらすぐ来るように言ってください」理論に基づく、ある意味ぎりぎりの判断である。マルちゃんの内科療法はなかなか安定しない。
そんなマルちゃんの、検査をこれ以上減らすのは、さすがに知識があろうと理論があろうと、危険だ。若い獣医は検査が多いと批判する向きもあるが、推測だけで治療をするほうがよっぽどこわい。理論に基づく検査は絶対必要だ。かといって、このまま高額な治療と検査を続けるのは難しいだろう。
「検査をこれ以上減らすのは無理なので、治療費の方を本院の院長に相談してみましょう。」とお母さんにこたえる。
みなさんご存知のとおり、動物病院の診療費は全国一律ではない。高い病院もあれば安い病院もある。高い病院のほうが設備が整って安全かといえば中身(獣医の頭)が伴ってなかったり、安いけどやることも前時代的、という病院もある。日常の診療をして飼い主さんに払っていただく診療費の基準も、だいたい病院の中で目安はあるし、検査費用も一覧表がある。原価がすごく安いものももちろんあるのだが、だからといって診療費が即安くなるとも限らない。そこには人件費もあるし、病院の運営にかかわるお金も必要だし、何より、私たち獣医師が売りにするのは薬ではなく、その薬を使うための知識や経験なのだから、そう簡単に安売りもできないのだ。自分の知識を安売りしてはいけない、プロだから。
そうすると、薬代と検査費用を長期にわたる疾患ということで特別に価格変更するしかない。やみくもに安くしてくださいと院長に頼むのも無茶な話なので、どれくらい値段をおさえると利益がこれくらいで、今後この検査はこれくらいやっていく予定で、といったことまで自分で計算して納得させなければいけない。このへんが、若い先生と違うところだなーと自分でも思う。中間管理職か?
必要以上に診療費をもらうこともないが、最低限の診療費をもらわなければ、病院はなりたっていかない。すべての患者さんの診療費を安くしてあげることも多分できない。獣医療に携わっていることは幸せだが、お金のことを考えると頭が重い。こんなんで、果たしていつか開業できるのか、またまた不安がよぎる・・・・・。

Monday, December 06, 2004

 先週からの風邪は引き続きのどのあたりに居座り、咳が出たり声が出なかったり、話をする仕事としては大変不便で、おそらく飼い主さんも話を聞きにくかろうと思う。
 今日は仕事が少し早めに終わったので、本屋さんに立ち寄った。厚木の有燐堂は20年以上前から私の寄り道スポットだ。そしてびっくり、韓国エンターテイメントの雑誌がたくさんある!!
 私は3年くらい前から韓国好きである。イビョンホンもチャンドンゴンも3年前から知ってたし、そんなイケメン俳優とか言われている人たちよりもソルギョングとかのほうがずっと好きだ。(シルミドとかペパーミントキャンディに出てる人)バンコクではスクンビットプラザに行けば、生きた韓国語があふれていた(ほとんど理解できなかったが)し、タイムズスクエアでは韓国映画のビデオも借りた。そのへんの映画が最近になって日本で封切られることなんか思いもしなかった。こんなに韓国ブームになるとは予想なんかまったくしなかった。だって、当時は韓国語を勉強していることも「変わっている」と言われる理由のひとつだったし、韓国語教室もほとんどなかった。
  あの頃はとにかく何でもいいから本を買いあさり、韓国の新聞を買い求め、エンポリのスタバでは韓国人女性をナンパ?してしまうという荒業までやってのけた。彼女の話し方があまりに可愛かったのだ。韓国語のあるところならどこでもうれしかった。最後にはDACOの韓国バージョンみたいなフリーペーパーに短いエッセイを頼まれて3本書いた。辞書とにらめっこで、何週間もかかって、韓国人スタッフがそれを手直しして、自分でPCに入力した。大変だけど、韓国人スタッフに囲まれてたくさん韓国語を話したし、表現もちょっと身についた。(「暑くて死にそう」とか「腹減ったー」とか)
 しかし私の韓国熱は冬のソナタの人気と反比例してさめていた。だって、あれ3年前のドラマだよ。恋愛はドラマより、自分のことのほうがよっぽど大切だ。それに、ヨン様と騒いでいるのが自分の母親世代というのも引っかかる。ところが、である。
 今年の9月、私が生まれて初めての学会発表をした「獣医臨床フォーラム年次大会」には韓国からの獣医師が大勢参加しており、私の発表を見ていた韓国人獣医師が私に私に質問してきたのだ。しかし、彼の英語力も決して優秀とはいえない・・・・。「ト ハンボン マレジュセヨ」(もう1ど言って下さい)
久しぶりに話す韓国語である。それを周囲の韓国人獣医師が聞き逃すはずもなく、あっという間に囲まれてしまった。しーかーし!!早口にはついていけませーん!そこまで流暢に話せないんだってばー!!辞書もってくればよかったー、というか韓国の先生がいるとは思わなかったもん。
 それでも、英語が得意とは限らない韓国から来た先生方には、その夜のウェルカムパーティでもすっかりつかまってしまい、ご馳走もお酒も胃袋にほとんど入ることはなかった。そりゃー、英語が堪能な獣医師はたくさんいるけど初級レベルでも韓国語が話せる獣医師はまだそう多くはないぞ。
 たくさんの先生とアドレスの交換をしたのだが、ついこの間、その中の一人でソウル市内で開業している同じ年の獣医師からメールが来た。「猫のFeLVについて質問があります」と。韓国でペットというと犬のほうが人気で、猫に関してはまだまだこれからなのだそうだ。いくつかの質問に答えるために久しぶりに辞書を引っ張り出した。日韓辞書でわからないことは英韓辞書を引っ張り出す。専門用語がそのまま通じるかわからないので英語も併記した。さすがに大変だったが、楽しい作業でもあった。
 それに大変喜んだ先生は「いつか、韓国にきて腫瘍や猫について韓国語でセミナーをしてください」と返事が来た。おいおい、腫瘍も猫も、大御所は私の師匠なんだよ。師匠をさしおいて海外でセミナーなんて・・・・やるのも楽しいな。バンコクでの学会で、日本の大学教授が「北米は北米でコミュニティを、ヨーロッパはヨーロッパでコミュニティを作っている。日本は獣医療先進国でありながら、言葉の壁・文化の壁にはばまれてどこにも行くところがない。日本こそがアジアのコミュニティをリードして作り上げるべきだ」と話をしていた。まあ、そこまで大それたことを私がするわけではないのだが、この業界の日韓交流の少しでも助けになれるかな。3年越しで「話せてよかったー」とちょっと思う。
 そんなわけで、韓国イケメン俳優には目もくれない私だが、韓国の先生がおいしいカルビをごちそうしてくれるというお誘いにもぜひ乗りたい、それには獣医の勉強も韓国語の勉強も、同時進行でやらなきゃいけないな。ああ、腫瘍認定医試験の勉強もしなくちゃ、おっと先週の宿題スライドも作って、ああっ、英語の文献が残ってたよー。今日はここまで。明日のサイレンちゃんの診察が楽しみだ。
 

Saturday, December 04, 2004

タイ料理で気分転換

 週末気分も半分くらいの今日、同僚の先生のリクエストもあって、トムヤムクンを持参して出勤した。大田区の勤務先では食事代が支給されるため、普段お弁当を持っていくことはほとんどないので、これは珍しいことである。(ついでにいうと、私は料理しなさそうに見えるらしい)
 ところで、このトムヤムクン、フジスーパーとかで売ってたインスタントじゃないですよ。昨日の夜、仕事から帰ってちゃんとレモングラスとカーとバイマックルーにチリインオイルとナンプラーで味付けした、手作り本格派!!ただし、ハーブ類はこの間バンコクで買ってきたドライです。上野あたりまで行けばドライではなく冷凍されたものが手に入るけど、上野なんか行っているひまはなし。そして忘れちゃいけないパクチーは、最近多くのスーパーで手に入るのが嬉しい。たいてい「香菜」という名前で売られている。ハーブの苗や種なら「コリアンダー」って呼ばれるほうが多いのに、不思議だな。これがないと味がひきしまりません。
 今週の火曜日も、別の先生のリクエストにお答えして、グリーンカレーを作ってもって行った。ナスがタイと違うので食感もいまひとつ違うのだが、日本人にはちょうどよいみたい。病院はすっかりタイ食堂と化してしまう。
 風邪引いているのに、夜早く寝ればいいのに、でもこれは私なりの「病は気から、気分転換療法」なのだ。最近料理をする時間がほとんどなくて、それがストレスになっているふしもあり、料理する機会を狙っていたのだ。それもできれば料理を喜んでくれる人が多いほうが楽しい。ということで、職場にタイ料理を持ち込むこととなった。結果はみんなに喜んでもらえて、私も大満足。病は気から、免疫力アップである。体調悪いときほど、気分転換。これは大事ですよ。
 まだ咳が止まらなくて、話す仕事にはつらいけど、やることいっぱい、体調崩すひまもないこのごろである。気分転換して少しでも片付けないと・・・・時間は飛んでいってしまうのだ。

Friday, December 03, 2004

ワーキングマザーの憂鬱

 昨日はへこむことばかりの1日だった。大体、12月2日は助手の8回目の誕生日だというのに、大学病院の診療日にあたっているので朝助手が目覚めないうちから出かけなければいけない。夜も多分起きているうちには帰れない。子供の誕生日に朝から晩までいない母親なんて、と世の中のみなさんはおっしゃるかもしれないけれど、たとえ研修医といえどプロである。そして助手の夢は「お母さんと同じ動物の医者」ならば、娘よ、母の背中を見て育て、である。
(ToT) 
もちろん、黙って出てくるなんてことはしない。テーブルのうえには小さな包みと花を用意はしてある。でもね、1日中今日は早く帰れないかなーと考えてしまう。
 木曜日にはたいていセミナーがあるので、どんなに早くても8時より前には終わらない。おまけに昨日はこの間の学会で見てきた症例報告などについて各人まとめて報告することになっていた。私も見てきた症例報告をパワーポイントに美しく、いつものモーニングセミナーよろしくまとめていったのだ。
発表の順番は運良くか悪くかトップバッター。これが裏目に出た。しょっぱなから美しく丁寧にまとめられたスライドの数が微妙に多かったらしい。前日徹夜で接待だったと思われる担当教諭はしょっぱなから辟易してこういった。「ひびちゃん、こんなにだらだら長いのはいらねえだろ。もっと手短でいいし、勉強になったことをまとめなおしてこい。」と、実際にはもっともっときつい口調で言われてしまった。
 ガーン、昨日2時間しか寝てないのにー、朝も4時に起きて頑張ったのにー、熱だって下がってないのにー 。確かにほかの先生たちはかなりはしょったスライドで手短だった。こんなんでよかったのかー。
そういうわけで私ひとり、来週、まとめなおして発表することになったのだが、終わった後に同期の研修医の一人がこういった。「最後の発表もひびちゃんと全然かわらないスタイルだったのに、なんでひびちゃんだけやり直し?あれっておんなじじゃん?」
私のほかにもう一人、同期の研修医が最後に発表したスライドの枚数は私より多かったのだが、担当教諭は何も言わなかった。まあ、自分の勉強にはなるからいいけどさ。何で私だけ、とへこむ。鍛えられている期待の星なんだと、勝手に思い込んで涙を飲む。ありがと、ミッチー、君がわかってくれただけでも私はうれしいよ。さすが同じカワサキ乗り、なんて関係ないか。
6万円かけて学会に参加し、参加していない人のためにボランティアでスライドを作って怒られて、ちょっと理不尽な気もするけど・・・・。何もしないで済んでしまうよりは、鍛えられているほうがいいかな。
 家に着けばやっぱり助手は夢の中。ごめんね、でもママ頑張るから(泣)19歳の誕生日にはママに銀の指輪を買わせてね。
 早速今日は職場にPCを持ち込んで、あいている時間、スライドの作り直しをしていた。学生に頼んで大学の図書館で英語の文献も探してもらった。
来週こそは、の心意気である。でなければ、助手の誕生日に留守をした言い訳にもならないもんね。ワーキングマザーは後ろめたさと背中合わせに生きている、ような気がする今日この頃です。

Wednesday, December 01, 2004

鬼のカクラン?

風邪を引いたらしい。毎日忙しいから、というだけでなく先週末仕事帰りに寄り道をしたのがいけなかった。
何の予定もなく、急いで帰らなくてもいい週末。翌日は13日ぶりの何もない休日。バイクで出勤して帰りに二子玉川あたりに寄り道しようと考え、246をそれたのはよかったのだけれど、渋滞の街の中でどこにバイクを停めようかうろうろしているうちに、イルミネーションが綺麗だというだけで満足してきた。一人でお茶するのはまた今度にしよう。そして帰る頃にはカラダはすっかり冷え切り、月曜から微熱でしんどい有様。情けないけど今週はこんな感じでがんばります。
医者の不養生ですね。