Thursday, March 24, 2005

出発前夜

いよいよ明日は出発だ。といっても、バンコクに行くのと違い赤坂を午後2時に出発、飛行機は5時半で、あちらにつくのは8時半、新幹線で岡山行ったりするのより近いのであんまり遠くに行く気はしない。泊りがけの出張ってこんな感じだろうか。
旅費は自腹でプライベートな参加だが、メンバーがメンバーだけにちょっと緊張してしまう。事前に知らされているのは大学時代の恩師で日本臨床獣医学フォーラムの代表であり今回のカンファレンスでは名誉大会長を務める超ビッグ、そして今回カンファレンスでAHT向けの講義をされるのは赤坂にあるこれまた有名な動物病院の女性副院長先生、そして開業されている3人の先生だがこの3人も臨床フォーラムの幹事の先生方である。そんなところに私が紛れ込んでよいのだろうか?ちなみに他の皆さんは旅費は経費で落とせるはずだ。ああ、私も早く経費で落とせるようになりたい。
私の学生時代の恩師がどれくらいビッグかというのは、なかなか業界の人間でなければわかりにくいのだけれど、私が会員になっているJAHA(日本動物病院福祉協会)でも日本獣医がん研究会でも、そして日本臨床獣医学フォーラムも代表やら理事やら、そういうトップか準トップくらいの位置にいらっしゃるのだ。そんなビッグと赤坂から成田空港までもご一緒だなんて!!緊張しちゃうよー。そして、あまりにすごすぎる恩師をもったおかげで、落ちこぼれだった私は長いこと自分の出身大学は言えても出身研究室の名前は出すのをはばかられていた。
数年前、バンコクから帰って最初に勤務した病院が、JAHA認定病院サポートセミナーというのに参加したとき、症例報告をしようとした瞬間、私の言葉をさえぎって、先生がこうおっしゃった。「彼女は僕の大学教諭時代の教え子で・・・」そこに同席していた先生方は、JAHAの認定病院になるだけある大きな病院の先生方である。そういった席で教え子と明言していただいたのが、どれだけ嬉しかったことか!その後、JAHAのスペシャリストセミナーに、これまた自腹で何度か参加したが、あいさつに行くたびに先生は外国からの招待講師に「彼女は僕の教え子で・・・。」と紹介してくれた。
それが励みともなり、がんばってがんばって、職場を変わっても頑張って、そしてついには年齢も顧みず腫瘍科に入ってしまったのは、私がおだてられたサル並みだということの表れかもしれない。単純。
思い起こせば15年前、その研究室は入室希望者が多く、先生と1対1の面接が行われることになった。その当時、つきあっていた彼からもらった指輪をしていた私に先生はこう言った。「獣医の仕事は、昼も夜も、平日も休日も関係ないことが多い。女子学生は頭はいい人が多いけれど、ボーイフレンドができるとそういう生活に我慢ができなくなり、最後には獣医の仕事から離れてしまう。それだったら僕は成績が悪くても男子学生を取りたい。」そんなこと言われたぐらいで自分の希望を取り消す私ではなかったので、結局入室できてしまった。(しかし後から聞いたところによると、私が入室できたのは目が大きいから、らしい。本当か??それってあり?)
私が大学を卒業してから数年後、大学の経営に関して問題が起こり(新聞にも載ったしニュース番組でも取り上げられた)、先生は大学を辞めてしまわれた。それからのほうが先生にお会いする機会は多い。
しかし、そんな先生とのつながりがあることは腫瘍科ではあまり自慢できることではない。逆に、ちょっと肩身が狭い思いをしている。それだけすごい先生の教え子だからさぞかし優秀だろう、という期待と皮肉。私のほかにも教え子だった先生はいるのだが、彼は確かに優秀だ。なんといってもⅠ種認定医、つまり真の腫瘍認定医だ。その先生と一緒にされるのは、私にとっては申し訳ない気持ち、その先生から見たら多分迷惑な話だろう。

ま、話が長くなってしまったが今回の韓国行きはプライベートだけど気が抜けない、休みをとったのに気は休まらない、仕事とあまり変わらない気分だ。おまけに、韓国でも日本国内と同じ番号で通じる携帯電話をレンタルすることにした。2つの病院でスタッフに聞いたら「連絡つくほうがいい」と言われちゃったので。私の留守中何事もないことを祈ろう。テリーくんとケンちゃんのことはキムに任せた。よろしく。めじろちゃんはエルファーロに引き続き入院中だ。あの院長をして難しいらしい。申し訳ない、よろしく頼みます。助手のことは母に頼む。いつもすみません。おみやげ買って来ます。
いざ、韓国へ。対日感情の悪化がちょい心配。(弱気)美人好きな恩師のために、今夜はパックして小じわをのばしておこう。けなげだわ、私って。

なんちゃってヨガ

昨日に引き続き、今日も腫瘍科はお休み。助手が小学校へと行くのを玄関先で見送ったあと、洗濯物を干し、茶碗を洗い、ヨガを少々。ヨガといってもどこかで習得したわけではないので、「なんちゃってヨガ」と自分では呼んでいるがこれがなかなか気持ちいいのだ。
学生時代からアドレナリンががんがん出るようなトレーニングに慣れ親しんだ私にとって、ヨガは衝撃的であった。なにしろ、結婚前は仕事から帰ったらまず腹筋・背筋・腕立て伏せにスクワット、という習慣があった。何日かできない日が続くと、筋肉がトレーニングを欲して訴えてきた。ロッキーのテーマとかかけたりしてアドレナリンがたくさん出るのが心地よかった。出産後も、時々スクワットをしたり腹筋運動を多少はしてきたが、この数年はそんなことをする時間的な余裕も精神的な余裕もなく、風呂上りのストレッチが精一杯という状況だった。
そこへ、ヨガだ。初めてやったときは思った以上に汗が出たのも驚きだったが、脳の中からエンドルフィンが出ているのではないかと思うくらい気持ちよく、何より精神的な満足感があった。これはいい!!ヨガっていったい何なんだ!!
ヨガをもっと知りたくなり、何冊か本を買って読んで知ったことだが、ヨガをするときの深い呼吸に秘密があるらしい。何でもヨガでは呼吸法が大事なのだが、それによって脳の中でセロトニンの分泌が促される。セロトニンは精神活動にかかわる物質で、これが少なくなると人間はうつ状態に陥ってしまう。つまり、ヨガでココロ晴れ晴れ、明るい毎日も可能なのだ(やや誇張?)。腹式呼吸はお手の物さ!
朝からそんなヨガをしてしまったので、今日もテンションが高い。(いつも?)ああ、休みっていいなあ。人間、休みは必要だよ。うん。これからヨーカドーにでも行って、カーペットかラグマットでも買ってこよう。重い荷物も気にならないような気がする。

実はこのヨガ、仕事の合間にすることもある。平和な日はよいのだが、この間みたいにエマージェンシーが重なっちゃったりすると、さすがに脳の中が混乱してきてしまう。そんなときにヨガ3分間。脳もすっきり、治療もばっちり?今日もにっこり、ママ元気、なのだ。

さて、そろそろ行ってこようっと。

Wednesday, March 23, 2005

出発準備

金曜日の夕方の便でソウルに向かうため、今日は朝からその準備をしている。3泊4日、学会に参加する以外は観光の時間もまったくないので、たいした準備も必要ないように思われるのだが、観光で行くほうが準備が楽だと思う。何を着ていくか、だいたいいつもと同じでいいから。ところが、学会とそれに伴う接待?があるので、あまりカジュアルな格好をしていくわけにもいかない。数少ないフォーマルっぽいワードローブをとっかえひっかえ、何を着ていくのか、靴はどうするのか、頭を悩ませる。今頃のソウルの気温はどれくらい?あちこちのサイトで調べては、羽織ものを追加する。あと、何もって行くんだっけ?
昨日、仕事の帰りに横浜のヨドバシカメラでICレコーダーを買った。腫瘍科のラウンドのたびに、先生の言うことを書きとめきれず、買おう買おうと思っていたのだが、これがいい機会だ。日本語の対訳つきの獣医学講義なんて、この先何度行けるかわからない。電子辞書も欲しいなと思ったのだが、思ったより作りも中身も粗末な感じ。愛用の分厚い辞書をスーツケースにしのばせる。
観光の時間はない、と書いたが、実は密かに計画していることがある。土曜日の早朝、水産市場に行ってみようと思うのだ。どこかのサイトで見たら、水産市場が近くにあり、韓国海苔が安いと書いてあった。助手がおみやげにリクエストしたのが韓国海苔なのである。こうなれば、買出しのアジュマ(おばさん)よろしくスーツケースいっぱいに買ってこようではないか。

しかし、私の浮かれ気分を押しつぶすように、領土問題で対日感情が悪化している。ひょっとすると、日本人の対韓感情も悪化しているのかもしれないが、冬ソナファンの方々はあまり関係ないのか、女性週刊誌の表紙を見る限りでは、おかまいなしのようだ。
それでもやはり自分の母国が悪く言われたり、国旗を燃やされたり、デモのプラカードに書いてあることを見るにつけ、フクザツな気分になる。
私は韓国語を独学で勉強している。韓国料理も好きだし、カラオケで韓国の歌も歌う。バンコク時代の韓国人の友人たちのことも好きだし、自分の性格は日本人よりも韓国人に近いような気すらすることがある。喜怒哀楽がはっきりしている、東洋のラテン系といえば、韓国人か私か、と言う具合に。
それでも自分は日本に生まれ日本人の両親をもち、日本の文化にどっぷりつかって育った日本人だ。そこのところは忘れてはいない。
では、竹島(独島)はどちらの領土なのか?
それは私の判断するところではない。私の判断は私自身の個人的な意見に過ぎず、それが正当かどうかは評価のしようがないからだ。もし、どこかでそう聞かれたなら「歴史の勉強不足なので答えられません」と言うだろう。実際、ほとんどの日本人がそうなのではないだろうか?
ひょっとすると、竹島(独島)は日本の領土なのかもしれない。(そうではないのかもしれない、と一応つけくわえておく?)でも、対日感情をこれだけ悪化させているのは、単純に領土うんぬんの話だけではない。
日韓に横たわる長い歴史の中で、日本が朝鮮半島に対してしてきたこと、それは限られた期間のことだけかもしれないし、国民のほとんどが戦後生まれとなってきた現代では、見に覚えのないことなのかもしれないが、したほうは覚えていなくてもされたほうの記憶はいまだ消えることはないのである。
バンコクの、アソーク駅の近くにあるタイムズスクエアの一角に韓国ビデオのレンタルがある。そこのおばあさんは長い話をしたことはないが、日本語を話すのだ。それ以外にも、高齢の朝鮮半島出身者の中には今でも流暢な日本語を話す人が少なくない。朝鮮半島支配のために日本語を強制すること、それが日本のしたことだ。もちろんそれだけではない。
このブログは歴史問題をうんぬんするつもりはないので、それ以上のことは書かないけれど、日本が何かして対日感情が悪化したりあちこちで突き上げをくらうのは、日本がしてきたことのせいだ、ということを忘れることはできない。
そのうえ、国民性というか気質の違いがあるから、日本人にとっては過激にうつることかもしれないが、彼らからしたら原爆を落とされたのに水に流したかのような日本人のほうがよっぽど奇異にうつっている。日本人には日本人というアイデンティティーがあるのか、と思うらしい。確かに、若い人はパールハーバーに抵抗ないみたいだし。
バンコクの韓国人の友人たちも、日本が過去にしてきたことは学校でよく学んでいるし社会全体がそれを忘れないようにと促している。それでも、必要以上に日本人を悪く言うことはなかったし私にも助手にも親切だった。king&Iの社長さんともおつきあいがあったが、あるとき、聞いたことがあった。
「歴史の中で日本は韓国に対していろいろなことをしてきた。それなのにみなさん親切にしてくれる。なぜだろう。」と。社長はきれいな英語で答えてくれた。
「過去のことは忘れることはできません。でも、それを認識して乗り越えて新しい歴史を作っていくのが私たちの世代なのです。日本人が嫌いなのではない。」
今は乗り越える時なのだろうか。あとどれくらいたったら、その過去を乗り越えきれるのだろうか。
今回の竹島問題を一言で言うならば、「残念」ということかな。
ニュースにうつる映像を見て不愉快に思われる方も多いかもしれないが、それはあなたが生まれた日本の人たちがしてきたことの結果なのだと、少しだけ思って、テレビを消して欲しい。日本人の性格もいろいろなら、世界の人々の気質もいろいろだ、ということで。

Tuesday, March 22, 2005

祝日侮れず

祝日の愛川町はあなどれない。平和に1日が終わるかもしれない予感はいつもあっさりと裏切られる。それは単純にカルテの枚数が多いこともあるし、そのまま緊急手術になることもある。春だなあと気分よくバイクで出勤した昨日も、やっぱり平和には終わらなかった。
午前中はいつものようにリンパ腫の治療が2件と、そのほか軽めの処置が数件。窓の外は光もやわらかく、風の強さもほどほどで朝から洗濯物を干しては取り込み、忙しい。FeLV(猫白血病ウィルス)のリンパ腫のケンちゃんも、多中心型リンパ腫の犬のテリーくんも、抗がん剤治療開始からすでに8ヶ月、経過は順調。テリーくんは大きさやちょっと臆病なところもハックに似ているので、ついべたべたしてしまう。採血しながらお鼻にチュッ、止血しながら頭なでなで、待合室でもトレーニングしながらおやつあげ放題だ。テリーくんもすっかり私にはなれたので、ちょっとなでてやめると「もっとなでろ」と言わんばかりに頭や背中をすりよせてくる。こんなハッピーな日々が送れるのも、大学での勉強の成果だと思うと、私もまたハッピーだ。うんうん。
午後も、スタートはのんびりしていた。今日は仕事が終わったら家族で食事の約束をしている。診療終了は午後6時30分、約束は7時30分、ここから本厚木まではバイクで20分程度だろう。余裕もっていけるはず、と思っていたが、やっぱり甘かった。
5時半を回る頃から待合室がにぎやかになってきた。ワクチンだったり診察だったり、その中に、この病院は初めて、という犬が2頭いた。最初のカルテを手に取り、診察し、飼い主に話をして検査をする。昨日の夜、低い段差から落ちたということだが、それよりも深刻そうだ。立ち上がることができないし、口の粘膜も白っぽい。検査の結果が出るまで次の診察をする。その診察が終わるか終わらないかのタイミングで、隣の診察室からAHTが顔を出し「先生、ちょっと来てください」という。
となりの診察室に入ると、灯油の匂いがする。診察台の上には中型の柴犬が手足をぴんと突っ張った格好で、小刻みに震えている。舌の色はうすい紫色で、目は見開いているのに瞳孔が小さい。
「散歩中、石油の入った容器を口にくわえて噛み砕いちゃったんです。飲んじゃったかもしれないけど、どれくらいかわからない。」・・・!それは一大事!この犬を診ていたドクターは昨年春獣医師になったばかり、他の病院からここにきてまだ2ヶ月、トレーニング中だ。顔を真っ赤にして、酸素を吸わせている。点滴の準備、酸素の準備、それから胃の中の石油をなんとかしないと!
こんなとき、活躍するのは活性炭だ。活性炭は毒物を吸着して便と一緒に排泄してくれる。しかし、活性炭はない。代わりに猫の慢性腎不全で使われるコバルジンという活性炭の顆粒を用意させる。「先生、何本ですか?」この犬の体重だと、1本2本などという量ではない。ちらりと開けられた引き出しを見て答える。「そこにあるだけ全部」正確に何本かはわからないけれど、活性炭としての量を考えれば大体そんなものかもしれない。とにかく出させて、それを水と混ぜる。水に溶けることはないが、水と一緒にチューブを使って胃に流し込むのだ。
異物を飲み込んだら吐かせることもあるが、石油は吐かせてはいけない。胃に通したチューブから液体を除去する。診察室中が石油の匂いで充満する。そして水と混ぜた活性炭を胃に流し込む。簡単に聞えるが、私の知っている獣医師はこのチューブを誤って気管にいれ、それに気づかないままバリウムを飲ませて猫を死なせている。細心の注意をはらっていることはもちろん言うまでもない。
点滴の針も入れないといけない。午前中、新人の先生が採血や点滴の針を入れるのが苦手だという話をしていたのでとっとと自分でやってしまう。こんな状況でなかったら、私がしゃしゃりでてやることはない。血液もとって検査にまわす。エマージェンシーのときに、落ち着いている?のはやっぱり年の功なんだろうか?
30分ほどたったら犬の様子が少し落ち着いてきた。手足を曲げるようになり、ふせの姿勢をしている。改善の徴候だ。よしよし、いいぞ。
この間にも犬の観察をAHTに任せ、いくつか診察をはさむ。ただでさえ待合室があふれているのに、これ以上時間をとめることはできない。
結局、その夜は入院させることになった。すべての診療が終わったのはすでに7時。まだカルテも書き終わってないし、会計も日計を出していない。やれやれ、家族との食事には間に合わない。メールで連絡をいれ、残った仕事にとりかかる。病院を出たのは8時をまわっていた。家には箱に入ったピザが、ディナーにありつけなかった私のために用意されていた。はあ。

今日病院に電話を入れたら、犬は元気になっていた。他の犬のごはんの匂いをかいだり、処置しようとしたら嫌がったりと、特に異常はみられないらしい。よかったよかった。
祝日、それはのんびりした気分とうらはらに、見知らぬ犬が運び込まれる日でもある。どうやら近所の先生方は祝日はお休みらしいから。そんなわけで、祝日の愛川町はいつも忙しいのだ。

Friday, March 18, 2005

研修修了証授与式

1週間とはどうしてこうも長くも短いものなのか。先週末から緊迫した時間が過ぎたかと思えば、水木は大学病院の腫瘍科。今週は長かったような気がする。そして、今年1年は、濃くて長くてあっという間の1年間だった。
今日、大学の診療は午前で終わり、それで2004年度の診療がすべて終了した。昼過ぎから、研修獣医師の修了証授与式というのがあり、全科研修医(週5日大学に来ていろんな科の症例をみる)と専科研修医(腫瘍、腎泌尿器、循環器、内科、整形外科、眼科)には、1年間の研修に対する修了証が渡される。一応規則があって、年間の出席日数が足りないとか、学会発表などの実績がなければ、研修を終了したとはみなされない。今年は2名が、修了証をもらうことができなかったそうだ。
いつもの診療はワイシャツにネクタイ、その上に長い白衣を着ているが、授与式では白衣を脱ぐ。いつもみなれた仲間たちがちょっとかしこまっている。みんなが渡されているのを見ながら、しみじみ考えた。
大学を卒業したときの卒業証書と獣医師免許、そのあと賞状とかもらったことあったかなあ。自分の中で区切りらしい区切りもなく、一生懸命ではあるけれど、やみくもにもがいていただけの時間もあったし、一般臨床では限られたものしかみることはなかった。1年間の研修で自分が得たものはなんだったか、いろんな思いがこみあげてくる。来年度も頑張らなくちゃね。今年1年間で得たものも多いが、課題もたくさん残った。もっと前へ、もっと高いところへ。帰り道に悔し涙をすすっている場合ではないのだ。来年の今頃は大笑いしていたい。このまま、ここで、止まってしまう自分が悔しいから、いつもどこかをめざしている。スーパーポジティブなんじゃない。めちゃくちゃ悔しがりやだから、泣きそうな自分に喝を入れてるだけ。
実は、セシルカット決定なのだ。これはまだオフィシャルな発表がされていないから、大きな声ではいえないが、2週間前にはわかっていた。悔しくて情けなくて、やっと日常の診療の忙しさに、そのみじめさがごまかされてきたところだ。来年があるから、とか、また来年がんばって、とか、残念だったね、とか、そういうふうになぐさめられると、悔しさが倍増する。私はそんなふうになぐさめてほしかったんじゃない。来年は、次のステップに行きたかった。
幸い、周りの友人も家族も、そんななぐさめはまったくないので、何とか平静を保っているが、もし下手に慰められたら、悔しさとみじめさで、当分立ち直れないだろう。
明日がある。それは、脳天気な明日ではなく、笑うための明日だ。

Tuesday, March 15, 2005

フル回転な週末

先週末はハードだった。糖尿病治療をしていた猫のめじろちゃんが、糖尿病性ケトアシドーシスという緊急状態に陥り、体温が29.9℃、意識はなく著しい脱水状態で、金曜日の朝来院した。悪いことにおしっこも作られていない。これは命にかかわる状態だ。すぐに点滴を始め、体をドライヤーやヒーターを使って暖め、短時間作用型のインスリンを注射する。その後は1時間ごとに血糖値や尿検査の結果を見ながらインスリンの量やうつ時間を決めたり、点滴の速度を変えたり、点滴の中身を替えたり、1時間ごとに頭をフル回転させなければいけない。初日はどうにか腎臓が少量のおしっこを作り出せるまでに持ち直し、体温も低めだが36度台まであがってきた。本来ならばそのまま入院で24時間看護が必要なのだが、大田区は分院でありクリニックとしてしか機能していない。そこで横浜にある夜間専門の動物病院に行ってもらうことになった。夜を越えたら、なんとか頑張れるかもしれない。そう期待していたら翌朝、前日よりはましな状態で来院した。またそのまま預かって血液検査、点滴、インスリンをうちながら様子をみていく。土曜日は前日よりはめじろちゃんの状態もよく、午後には呼びかけに反応して尻尾をゆらしたり、声にならない声で「にゃーん」と、答えたりもした。おしっこも順調に出ている。あと少し、頑張れば自宅治療になれるかもしれない。・・・と思っていたら、いつもめじろちゃんを連れてくる飼い主さんの実家のお父さんと思しき人物が、お迎えに来るなり開口一番こう言った「金がもたないよ。無理。」
一般的に考えても大変失礼な言い方だと思うが、確かに一晩に5万も6万もかかっていたら、今まで病気知らずのめじろちゃんの家庭にとっては大きな痛手だろう。でも、あとちょっとなんだ。
結局、私とお父さん?との話し合いは平行線で、何を言っても「金がかかる。」「治るのか」の繰り返し。糖尿病は一部の例外を除いて完治する病気ではないし、ちゃんと治療しようと思えばお金もかかる。だから、飼い主が後悔しないような選択をしていかなければならない。人間と違って、治療のイニシアチブは医者よりも家族側にある。最終的な判断は飼い主の一存なのだ。
それでも、私たち獣医師は力を尽くしている。少なくとも、めじろちゃんが運び込まれた初日の私は、1時間おきと言わず1日中頭の中で、血糖値の推移のシュミレーションと、点滴剤の選択やインスリンの計算をずっとしていた。そんなときでも、ほかにも診察しなければいけない。頭フル回転。
そして、日曜日。この日は私の週1日しかない休みだが、午後から品川でセミナーが入っていた。でも気になるので朝から蒲田でうろうろしながら病院からの電話を待っていた。もしかしたら、もう病院には来ないのかもしれない。でも、もしかしたら来るかもしれない。
蒲田のユザワヤの文具売り場にいるときに病院からの電話が鳴った。若い先生からの電話だった。とりあえずの指示を出し、東急線多摩川線に乗り込む。たった2駅だが、長く感じた。駅から病院まではそう遠くない。小走りで病院の裏口まで行き、ドアの鍵を開けてもらう。めじろちゃんは、昨日よりもちょっと悪くなっている。インスリンの効果が出にくい、というかインスリンに対する反応がまちまちで、コントロールが難しい。ひょっとしたらほかの病気も併発しているケースかもしれない。その検査は昨日ラボにオーダー済みだ。
結局めじろちゃんの飼い主さんは、今度の週末にお休みが取れるのでそれまで1日中預かってくれるところでみてほしい、休みに入ったらこちらの病院に戻りたい、ということだった。1日中見てくれるところで、信頼できて、また後からこちらに返してくれそうなところは・・・・駅の向こうの開業したばかりの後輩の病院だ。しかし、病気が病気だけに獣医師一人でやっているところに夜中も監視が必要な猫を送り込むというのは、考えようによっては身勝手なお願いだ。電話をかけ、事情を説明し、無理なら断っても構わない、と言ったが彼は快く引き受けてくれた。ありがたい。彼なら安心だ。
そして、今日の夕方彼からメールが入っていた。めじろちゃんは、だいぶ改善の方向にあるようで、ひょっとしてひょっとしたら、私が次に会う金曜日までに、自分からごはんを食べられるようになるかもしれない。ヤマちゃん、ありがとう!本当は人にお願いするよりも、自分でずっとみていてあげたかった。雇われ獣医師にはそのへんに限界がある。勝手に夜間診療なんかしてはいけない。初日だけ、夜間病院が開くまで、本院に内緒で9時までみていた。それくらいしか、してあげられなくて、悔しかった。 めじろちゃん、あえるのを楽しみにしてるよ。

で、安心したら自分の目の痒いのと鼻がぐずぐず、くしゃみが出るのが気になってきた。でも、病院に行く暇はないので、市販の飲み薬と目薬を試してみたら、これが効果テキメン!ということで、アレルギーらしい。診断がつかないけど疑わしい病気に対して治療を行い、その反応によって診断を下すことを「診断的治療」という。それにしても鼻水の出ないのがこんなに楽だなんて、薬ってすごい。これで、バイクの運転中にくしゃみで目をつぶることもなくなり、安全かも。

あー、疲れた。お風呂入って、寝よう。明日は本年度最後の大学腫瘍科の手術日だ。

Tuesday, March 08, 2005

ありがとうの形

動物病院で仕事をしていると、飼い主さんからの頂き物をよくする、ということは以前書いたかもしれない。ホテル預かりのお迎えの時におみやげを持ってきてくださったり、入院していたワンコが退院するときのお礼だったり、はたまた、最期まで看取った後のお礼だったりする。それはご近所の大判焼きのこともあれば、その土地の名物だったり、ビール券だったり、ひなまつりのケーキ(女性スタッフが多いから気遣ってくださってる?)だったりする。そして、それらはどれも、家族の一員がお世話になりました、という気持ちが形になったものだと思い、ありがたくいただいている。ありがとう、の気持ちを形にしたくなる、という気持ちは大変ありがたい。
今日、仕事に行ったら、朝から渡されたもの、それは折箱に入ったお赤飯だった。聞くところによると、本院に入院していたヨークシャーテリアが一時退院となり、飼い主さんがスタッフのみなさんへ、と持ってきてくださったそうなのだが、スタッフの正確な人数を知らなかったため、本院分院あわせても余るほどの数となった。(私も正確な人数はわからない)入院時には相当ぐったりとしていたワンコが一時退院までこぎつけ、飼い主さんは本当に本当に喜んでの名セリフ「お金はこのこに使うためにあるんです。」・・・・。
喜ぶ、といえば今日はハチちゃんのお母さんもみえられた。先週、ハチちゃん連れて病院に顔を出されたときに相談されたのが、大学病院の担当獣医師であるわれらがボスにどのようなお礼をしたらよいのか、ということであった。これは人間社会の慣例から考えられたことなのかもしれないが、手術料や入院費を払っていただくほかは、特別に何もする必要はない。でもそのまま伝えても何かせずにはいられないハチちゃんのお母さんにとっては、おそらくすっきりとしないに違いない。何しろ、ハチちゃんのお母さんはハチちゃんの喉の奥にできた腫瘤をとるために、腫瘍外科の第一人者といわれるボスに手術をしてもらったということを、ものすごーく喜んでおられたのだのだ。
「そうですね、時々お菓子をいただくことがあります。それ以外に特別なことはないですね。」と答えておいた。もちろん、お菓子を持っていかなくてはならない、ということではないが、もっとも差しさわりのないもの、といえばやはりお菓子になるかと思われる。実際、飼い主さんからいただいたお菓子は午後のラウンド(今日はどんな症例がきた、とか検討する時間)のときに、研修医たちの低血糖症状を緩和させる貴重なエネルギー源として喜ばれている。
そんなやりとりがあって今日、ハチちゃんのお母さんが「ひび先生にお願いがあって」と来院された。手渡された紙袋の中には二つの包みが入っており、それには「ひび先生」と「S先生」と名前の書かれた小さな紙が貼ってあった。「大変恐縮なんですけど、これを大学にもっていっていただけるとありがたいのですが」それはおやすい御用である。「中にお手紙が入っていますので、そうお伝えください。」・・・・お手紙、といえば封筒に入っている。長年の獣医師経験から、封筒には何かが包まれるもの、ということが多いことを私は知っている。これは責任重大だ。
「それからこれはこちらのみなさんで」と大き目の包みをもうひとつ。ハチちゃんのお母さんの気遣いは止まらない。ハチちゃんは今まで以上に元気で、軽やかに歩き、おだやかに笑顔で暮らしているのだそうだ。私が初めてあった頃のハチちゃんは体重が今よりも10キロ以上あり、歩くのも動くのもいや、という覇気のない犬であった。軽くなった今では、近寄る獣医師をよけるのも素早い。^^;
ハチちゃんのお母さんが帰った後、スタッフと一緒に包みをあけお茶を入れる。そして別室で、もう一つ私にとくださった箱の包みを開けてみた。包みを開けると、中には封筒が2つとメリーズのお菓子の包みが入っている。一つの封筒の中にはお礼を述べたカードが入っていた。そしてもう一つの封筒には「お礼」と書かれている。うーん、私がしたのはたいしたことではないのだけれど・・・・封筒の中には真新しい諭吉さんが数枚入っている。うわー、どーしよ、これ。
現金をいただくというのは正直うれしいよりも先に戸惑いがある。私がしていることは獣医師として当然の仕事、獣医師として当たり前のことだけだと思っている。仕事である以上、お金は給料として雇い主から支払われている。だから、いただいたそれをどうしてよいものか、考えてしまうのだ。
もちろん、お返しすることもできない。それはお母さんの気持ちであり、おそらくどのようにしたらよいかを、ずっと考えていらして出した結論なのだ。でも、私だけがハチちゃんに関わっているわけではない。この病院のスタッフみんなが、ハチちゃんのフードを発注したり、採血の保定をしてくれたりレントゲンを手伝ってくれたりしている。今日はお休みだけど、麻酔をみてくれていた先生、彼女がいなかったら安心して処置をすることもできなかった。私だけで動いている病院ではない。
以前勤めていた横須賀の動物病院で、いただいたチップを一箇所に集めておいて、3ヶ月ごとにみなで分配する、そういう決まりがあった。私は個人としてではなく、その病院の獣医師として仕事をしている、そして、その仕事は多くのスタッフによって支えられているのだ、という考え。横須賀は私に大きな影響を与えた場所だ。
考えた末に、明日の夜、スタッフで食事をするという話を聞いていたので少しではあるが、おすそわけ?をすることにした。みんな、いつもありがとね。(これを自分が稼いだお金でできたらもっとかっこいいんだけどね。)入院ケージのある裏のほうで一人のスタッフに事情を話して、お金を渡したらびっくりしてたけど、明日はちょっとおいしいもの食べてください。私は腫瘍科の日だから行かないけどね。
そして、あと1時間で今日の診療が終わり、というときに、出てきたもの。それは先月いっぱいでこの病院を退職したAHTの女の子からの、お礼のプレゼントだった。猫の形をした春色ピンクの巾着袋とスペイン製の厚手の黄色いグラス。とても優しくて、ほのぼのとした空気をかもし出す、いいスタッフだったのだが、体調を崩し退職を余儀なくされた。彼女自身、仕事を辞めたくはなかったのだが、体調が思わしくなく、周囲に迷惑をかけていると思うことで余計ストレスがかかっていることも事実だった。この分院ができて以来ずっと勤務している彼女に聞けば、大体のことはわかった。頼りにしていたし、決して悪口を言ったりマイナスな思考をしない明るさが大好きだった。添えられたカードを見ながらちょっとため息が出た。「ありがとうございました」の文字がちょっと切ない。また会えるだろうか。
帰りの電車に揺られながら、今日いただいたものを膝に乗せ、その重さを感じる。これ、全部ありがとうの形だ。ありがとう、って思うことは、ちゃんと表現したいな。そう思いながら、急ぐ帰り道。家族を含め、私にかかわるすべてのみなさん。いろいろありがとう!!私は一人じゃないんだ、そう思えることがとてもありがたいです。

Monday, March 07, 2005

春眠?

眠い。こーんなに眠いのにはわけがある。
ゆうべから、助手が熱を出し、たいした熱ではなかったのだが明け方3時半に目を覚まし、トイレに行くときに起こされた。そのあと、もうひと眠りしたのだが中途半端な眠りだったのはいうまでもない。
そして、日付も変わる頃、愛川町の職場から帰ってきた。愛川町、といえば、だいたい時間通りに仕事は終わる職場なのに、今日は自分の仕事が終わって帰る前に、獣医雑誌のコピーをしようとしているときに、声がかかった。
「ひび先生、レントゲン見てください」
あらららら、猫の胃の中に長さ5センチほどの縫い針が入っている。針が入っているというのもキケンだが、猫が針を飲み込むのはたいていそれについている糸をいたずらしているうちに、だんだん糸をのみこみ、しまいには針まで飲み込むというケースで、これだと飲み込んだ糸が、腸を手繰り寄せる形になってしまう、それがキケンだ。針が胃を突き破ってしまうよりも、考えようによってはキケンだ。
今日は休みの院長先生に連絡をいれ、朝まで待たせるのはキケンだと説き伏せ手術の準備にとりかかる。あー、残業だな。
そんなわけで、9時を過ぎてから手術に入った。朝一番からハスキーの心配蘇生があった今日、集中力をもたせるのも、結構厳しい。
長い糸と食べかすのついた針は無事に胃から見つかった。これが腸に流れていってしまうと、見つけるのがとても大変になる。やはり今日開けてよかった、よかった。
ということで、長い時間頭を使っていたので、眠い。おやすみなさい。

Friday, March 04, 2005

雪のちくもり

今日目が覚めたら外は雪が降っていた。ものすごく降りそうだとゆうべの天気予報で言っていたわりには勢いがない。大晦日のほうがよっぽどひどかったぞ。電車を4本も乗り継いでいくので、どこかで止まるとも限らないが、たいした遅れもなく無事病院に到着。午前中はそんな天気の中ほとんど人が来ない。スタッフみな事務仕事モードである。
私はこっそり、大学腫瘍科の事務仕事。腫瘍科の中でも外科関係、内科関係、デジタル関係、画像関係などいろいろな作業部があり、年度末にはそれぞれの業務報告を行うことになっている。そして、それらの報告は今後の重要なデータとなるので、それなりに形にしなくてはならないのだ。
私が配属されたのはセミナー部と外科部。セミナー部はその名の通り腫瘍科内でのいろいろなセミナーを企画したり、学会発表に関しての情報集めをしたりする。作業部報告はあまり大変ではない。
外科部は今年のテーマは「術中術後の合併症」に関するデータを集め統計をとる、ということだったのだが、音頭とりをするべき外科部長がなかなかのんびりとした方だったため、今頃になってあわただしく作業をすすめている。先週も今週も水曜日は日付が変わるまで大学にいた。そのうえ、外科部5人のうち水曜と木曜両方きているのは私と同期のミッチー(仮名)だけ、そのため他の先生たちの分まで仕事を請け負う羽目になる。
そんなわけで今日は朝からきれいなままの診察台にPCをのせてデータの入力作業だ。
午後になって雪がやんだので、もしかしたら忙しくなるかも、と話していたが、結局外来も猫1件しか来なかった。それがたまたま栃木県で開業している腫瘍科の先輩の病院がかかりつけだったとのこと。これまでに2回来院していたオーナーは「かかりつけが他にあるので検査は希望しない」とカルテに記載があったが、かかりつけの獣医と私が知り合いと知るや、すぐに検査を希望してきた。
先輩の病院で8ヶ月ほど前にこぶし大の腫瘍を切除して、現在は腎不全の治療を行っている。最近何か検査をしたのだが、その結果がわからないということなので、先輩の病院に電話して問い合わせたら、獣医師一人でいつもこんでいると噂の病院、すぐには先輩につながらない。折り返し電話を下さった先輩は私以上にテンションが高い。「いやー、ひびちゃん久しぶり!」
その場で飼い主さんにも電話をかわり、先輩からも説明を入れてくださり、無事診療終了。経過が思わしくなければ明日また来院して点滴をする予定だ。「じゃあ、ひびちゃん、またがん研究会でねー」
(ちなみにこの先輩、私より2歳年下だよ。)

で、入力作業も今日は半分まで。残りは明日時間があったら。でも明日はショータちゃんの血糖値を1時間ごとに測定する検査が入っている。今日雪だった分、明日が忙しいのかもしれない。あさっての日曜日は、大学に行って他の先生の分のデータをカルテを見ながら入力しなければ。
大学の診療は17日まで。忙しいのもあと少し。ほんの少しだけ、春休みがあるのをものすごく心待ちにしている今日この頃である。ああ。