Tuesday, July 26, 2005

No Show

今日ショウちゃんは来なかった。朝一番で連れてきてくださいと、言ってもらったはずだが代わりに電話が来て「昨日よりは調子がよさそうなので、自宅で様子を見てもいいですか。」と飼い主さんが言う。「いいですか?」と聞かれても「いいですよ」とは答えられない。
昨日の治療でよくなっているのだとしたら、今日手を抜いてまた悪くなる可能性が高いし、自宅で様子を見てもよいほど状態がよいわけではない。だから、そのままそう答える。そして「最終的な判断は飼い主さんの気持ち一つなので、よくお考えになって決めてください。」と付け加える。治療はしたほうがよい。でももしその治療が苦痛になっていたり、治療にも関わらずあと数時間で最期の時を迎えるのだとしたら、誰でも病院で死なせたくはないだろう。治療すべきか自宅で様子を見るべきか、飼い主さんは再び悩み始めてしまう。
気持ちのうえでは自宅で様子を見たいけれど、何かあったらどうしよう。その迷いは受話器ごしでもよくわかる。「じゃあ、本当は治療を続けたほうがよいのだけれど、午前中様子を見て、状態があまりにも悪くて苦しそうなら連れてきたらどうですか?そして、もし、このあと調子が落ち着いていたら、金曜日に顔だけ見せてください。」すると、飼い主さんの声に明るさが戻った。
受話器を置いたあと、しばらく自問自答する。台風が近づいているせいで病院に来る人はほとんどいないから、自問自答の時間もやたら長い。もしかしたら、もっとしてあげられることがあったのではないだろうか。私の診断力がいたらなかったのだろうか。あんな風に言ったけれど、本当にそれでよかったのだろうか。そして、ショウちゃんの飼い主さんは、この後、後悔するようなことはないだろうか。
動物とともに暮らせば、たいていの場合、人間よりも先に動物の寿命がくる。早かれ遅かれ、いつかは別れの時に直面する。そのときに、飼い主が後悔と自責の念で苦しむことほど、獣医師としてつらいことはない。別れの悲しさ、寂しさというのは仕方ないとしても、後悔や自責の念は、たいていの場合獣医師が関わっている。もっと早く治療をしていれば、もっと早くあの検査をしていれば、あるいは、やるだけのことはしたけれど治療は苦しいだけで可哀想だった、とか。飼い主の後悔や自責の念を、獣医師は少しでも救ってあげることができるはずだ。なぜなら、飼い主と動物の病気との闘いを一番近いところで見ていた、サポーターだからだ。
金曜日、ショウちゃんに会えるだろうか。会えないかもしれない。もしも、金曜日までにショウちゃんに最期のときが訪れるとしたら、どうか、苦痛を与えないようにと願わずにいられない。

Monday, July 25, 2005

1週間の始まりに

先月、大学の腫瘍科に雑誌の取材が来て、午前中いっぱい慌しい診療風景をカメラに収めていったということがあったのだが、本屋さんでその雑誌を見つけて思わず買ってしまった。「DogFan」という雑誌で、「ペットのお仕事最新情報」という特集を組んでいて、そこで獣医大学が出てくるわけだ。ドッグワールドかと思っていたらドッグファンの間違いでした。ムーさん、ごめんなさい。
実際の男女比よりも女性獣医師のカットが多いような気がするのは気のせい?私もしっかり写っています。6月にできたばかりのオーダーメイドのワイシャツと、ジムトンプソンのネクタイ締めて、そしてショートヘアで。ああ、ほんとにヘンな頭だ。あの撮影の後、多少整える程度にカットしてもらったら、前髪を薄くされすぎて、杉田かおるとかぶるような気がしてイヤなのだ。最近は少し伸びて「女子アナ風」と言われることもある。取材といってもインタビューはうちの助教授と学生だけ。現役研修医は写真のみだ。気になる方は本屋さんで見てください。ドッグファンです。

今日もテリー君はしっぽを振りながら病院に入ってきて、待合室で「ヒューン、ヒューン」と甘えた声を出しながら私を呼んでいる。ほんと、私を呼んでいるのだ。そして、受付の奥に私を見つけると、吠えて呼び始める。ちょっとだけよだれを垂らしているのは、毎回のごほうび作戦の賜物である。そして、診察室に呼ばれるのを今か今かと待っている。そんなふうに呼ばれるのを待っている犬は、テリー君だけだよ。^^;
テリー君は抗がん剤の治療を一切やめている。だらだらと使い続けることで、薬が効かなくなることがあるからだ。そして、リンパ腫では一度症状が消えた後に再び症状が出ることを「再燃」と呼ぶが、そのときに、もう一度抗がん剤を始めるのだ。治療開始から1年を経過し、テリー君は体重が6kgも増えてしまった。リンパ腫の治療をしていた犬にはとても見えない。ここまで経過は順調であったが、毎週の通院に加えて経済的な負担も大きく、それでも治療を続けてくれた飼い主さんには頭が下がる思いだ。せめて、テリー君の病院嫌いがなくなれば通院の苦痛も減るかと、ごほうびをあげ始めたのだが、思った以上に効果があり、ビデオにとってネットで公開したいくらい、テリー君は診察台のうえでいいこである。ハックは診察台で足がすくんで立つことができないので(情けない)、ちょっと見習わせたいところだ。テリー君にとって、この楽しい時間が、できるだけ長く、1日でも長くなるように、できるだけの治療をしたいま、あとは、本気で祈る私である。

テリー君との楽しいひとときに浸っていたい私であったが、先週から大田区の病院のほうのショウちゃんの調子が悪く、休みだった昨日と愛川町で仕事をしている今日、携帯電話、携帯メールにくわえて職場への電話を駆使して、状況を逐一報告してもらったり指示を出したり、頭の休まるヒマがない。いっそのこと出勤したいくらいなのだが、そこまでするのは出勤している獣医師に対してなんだか失礼なような気もするので、自粛している。でも、結局いちいち指示を出すので現場にいたほうが便利だ。ジレンマなり。
診療時間の終わり際に、病院に電話をかけたら動物看護士の女の子が、オーナーがどんなふうに考えているのかなんと言っていたのかを報告してくれた。「最後は日比先生にみてもらいたい」と、そう話しているそうだ。多分、明日は時間をかけてショウちゃんの飼い主さんと話をするだろう。最後の時間を迎えつつあるショウちゃんのために、私は真正面からオーナーさんと向き合って、一緒にショウちゃんの最後の時間を受け止めなくてはならない。そして私は、同時にショウちゃんの飼い主さんの深い深い哀しみとも向き合わなくてはならない。それがホームドクターの務めだ。それを思いながら、今夜は眠ることにする。動物が好きだから、それだけではできない、それが獣医師なのだ。

Sunday, July 24, 2005

検疫制度・補足

そもそも、どうして私が新しい検疫制度について、農林水産省に問い合わせるのかというと、国内での狂犬病予防法と内容が異なっているからである。国内で接種した場合、狂犬病ワクチンは生後91日以上の犬に対して年1回接種し、保健所等管轄の役所に届け出ることが義務付けられている。
しかし、検疫制度では1)2回以上の狂犬病ワクチン接種歴(30日以上の間隔があいていること)2)中和抗体価を測定し採血から180日間の待機期間を経てからでなければ入国できないこと、などとなっている。だから、狂犬病ワクチンを接種したことのない犬、たとえば仔犬などではいつでも帰国できるようにするには、初回接種の30日以上あとに追加接種を行い、それから採血をして中和抗体を測定し180日間は日本に帰ってこられない。要するに、仔犬の愛らしい時期に日本の土を踏むことは不可能なのだ。
ワクチンを2回以上接種することのメリットは、追加接種をすることによってさらに体内での免疫力が増強されること、すなわち、抗体価がさらに高くなり感染防御に有利になることだ。狂犬病がまだ存在する国に暮らしていて、2回以上の接種を行っているということは、しっかりと予防措置をしているということになる。たいていすでに成犬になっている場合、わざわざそんな短期間で追加接種をうたなくとも、すでに毎年の接種で十分な免疫力を獲得していると考えられるが、仔犬の場合はまだ不十分なので、そこを補うためにできた項目なのだろう、と私は予測する。
が、日本ではそんな接種のしかたをしないので、日本の獣医師から見たら「?」なのも事実である。タイの動物病院で6ヵ月後に追加接種をした、という話を聞いたことはあるが、日本ではそんなこともしない。
もちろん、中和抗体を測ることもほとんどない。というか、つい最近、日本入国のための中和抗体を測定するラボが国内でも指定されたばかりなうえ、そのラボは国内の一般的な獣医師が利用している商業ラボではないので、名前を聞いたのは初めてであった。つまり、最近まで一般の獣医師が利用できる商業検査施設では、狂犬病の中和抗体を測定することができないのだ。
そこまでするのは、日本国内に絶対に狂犬病を持ち込ませないという、表れでもあるのだろうが、じゃあ国内はどうなのさ?180日の待機期間は何なのさ?
さらに根本的な問題は、日本の狂犬病予防法の対象が犬に限られていることである。狂犬病が哺乳類すべてに対して感染可能で発症すれば100%死亡するということは、大学で学んだ。獣医師国家試験の外せないヤマでもある。それなのに、現場では犬にしか注射していないというのはどういうこと?猫は?フェレットは?しかし、海外からの入国には猫でも狂犬病ワクチンを接種している。そういうところに疑問をもってしまうわけだ。
検疫制度に理解を示してしまうと、国内の狂犬病予防法に首をかしげざるを得ない。国内の実情から見ると、検疫制度も飼い主の立場からでは難解なものだろう。そして、自分が理解できないものを、ただ上から言われたとおり説明すればいいやと思えないあたりは、多分私も石頭だからなんだろう。
納得するって難しい。

Saturday, July 23, 2005

Jasmineの闘い

先週、農林水産省に電話をかけた。動物の輸入検疫、それも猫の狂犬病予防注射に関して、いくつか質問があったからだ。
こういう場合、平日の5時までという限られた時間に電話しなければならないので、やむを得ず昼休みに職場から電話をかけることになる。以前もかけたことがあったが、「担当のものに替わります」という言葉を何度も聴いた挙句に「詳しくは検疫所のホームーページに書いてあります。」と言われてしまった。ホームページを見て疑問に思ったから問い合わせていると言っているのに、これではお話にならない。とても大人の会話ではなく、貴重な休み時間を10分近く無駄にした気分になったものだった。
また同じことになるのかなー、不安にかられながらダイアルしてみる。「農林水産省です」という第一声は相変わらず機械的な女性の声だが、検疫について伺いたい、と告げると「少々お待ちください」とさっさと保留にされる。
最初につながったのは「衛生管理課」というところの女性で、輸入検疫の猫の狂犬病の件で、と告げると、「あ、では担当のものに替わります。」といって今度は男性に替わった。それでまた最初から自分の名前と都内の勤務獣医師だと告げてから、本題に入る、とまた同じように、「えー、それは、その、担当のものに替わりますので少々お待ちください。」と言って保留になった。ちょっと待っていたら、「プー、プー、プー」と切れてしまったではないか。あれ、切れちゃったよ、ともう一度かけなおすと、また同じやり取りを数回した後、また切れてしまった。もー、こっちがキレたいよ、ほんとに。
結局、最終的につながった先は「衛生管理課」で、それでもこちらが聞きたいところについて、「そう決まっている。」の一点張り。こちらが聞きたいのは、検疫制度の中身ではなくて、それを決定した理論や科学的な根拠についてなのだ。決まっていますから、と言われて、ああそうですか、と食い下がるくらいなら、わざわざ電話なんかしない。あのまことしやかな検疫制度の一般論なんか、百も承知だ。私が知りたいのは、いかにも真実のような一般論的なあの検疫制度の、例外のような事例はどうなるのか、とかどういう根拠でああいう内容になったのか、ということなのだ。半分切れ掛かって「こちらも獣医師ですから、それくらいはもちろん熟知していますけど。」とつい言ってしまうくらい、誰を相手に話をしているつもりなのか、本当に話にならない。結局、こちらもめんどくさくなって、検疫制度の根拠になっている文献とか資料があれば教えてください、と言ったらファックスで送りますと言う。もー、話しているのも時間の無駄だとファックス番号を教えたら、30分位してから本当に送られてきた。それも、A4サイズで16枚!!一般企業だったら、こんな大量のファックスを流すよりも、PDFファイルとかで送ったほうが経費削減じゃないのか?さすがお役所、親方日の丸。いちいちやることが、納税者の神経を逆撫でしてくれる。おまけに、もうひとつの疑問点はなんだかうやむやにされてしまった。なんだよ、農林水産省。
もっとも、実は検疫所には大学の同級生もいたりするし、同じような獣医大学出身者も少なくないから、本来なら仲間みたいなものなはずなのだが、どうも世界が違うらしい。

今回は猫の狂犬病予防注射についての問い合わせだったのだが、ひとつものすごく問題なことがわかった。猫は狂犬病、白血病、そして一般的な3種混合ワクチンの接種によって、悪性の線維肉腫という腫瘍ができることがある。ワクチンを接種した部位にできるそいつは、通常の線維肉腫よりもさらに悪性で再発しやすく、臨床獣医師を悩ませる問題のひとつなのだが、もし、飼っている猫が狂犬病ワクチンで線維肉腫ができたしまったとしても、日本に入国するためにはワクチンを打たなくてはいけない。法律上はそうなっているのだが、すでに自分の猫に悪性の腫瘍ができているというのに、ワクチンをうてる飼い主はいるのだろうか。一緒に帰国するために腫瘍ができる可能性がものすごく高くても、やっぱりワクチンをうって日本に帰るのだろうか。腫瘍ができたからといって、狂犬病ワクチンをうたなくてもいいということにはならないのだそうだ。腫瘍ができようが、アレルギーが出ようが、日本に入るなら注射をうてよ、というのが狂犬病予防に関する新しい検疫制度。線維肉腫ができたら、ひどい場合は断脚しないといけないんだよ?アレルギーで死んじゃうかもしれないじゃん。そんなの、中和抗体が十分だったらなんとかなるんじゃないのか?そのための抗体価測定でしょ?いまいち、納得がいかないような気がしないでもないが、農林水産省の国際衛生管理課は私に謎を残してくれたのだった。Jasmineの闘いはto be continued.新たな矛盾点、疑問点の追及はまた来週、ということで。
ずさんな法の裏をかいて猫を守るのだ、にゃー。

Tuesday, July 19, 2005

ハードな1週間・気分は満足?

先週は久々に過酷な1週間であった。通常なら休日となる日曜日を、大阪での学会で忙しく過ごしてしまったので、2週間休みなし状態なのだ。そのうえ、月曜日は仕事のあとで川口の動物病院で開かれた勉強会に参加して帰宅したら午前3時、タクシーに混じってバイクで走っていたら夜中の環七で曲がり角を間違えそうになった。
そして、水曜日にはなんと、われらがボスの愛するももちゃん(マルチーズ13歳)の肝臓切除の手術が入っていた。ももちゃんは、心臓も悪い。循環器科の有名な先生が心臓にエコーをあてて「かなり悪いな」と驚愕の声をあげ、「手術中に不整脈が出たらすぐにやめないと死ぬぞ」と警告したくらい、悪い。そして切り取る肝臓は、切除困難と言われている右側だ。リスクは天井知らず、腫瘍科全体にも緊迫感がみなぎる。手術に入るメンバーもゴールデンメンバーとかドリームチームといわれる経験豊富な先輩ばかりだ。しかし、何故かそこに私の名が・・・・。ボスのご指名で特別編成されたチームだから、名誉なことこの上ないのだが、選択基準は?とたずねたら「術野を邪魔しない、指の細い人」と言われた。なーんだ、と思ったのは一瞬のこと、実は同期には私より指の細い人も同じくらいの人もいるのだ。おまけに、私のポジションでは指の太さは関係ない。もしかしたら、仕事振りを期待されているのかも、ひよっこな私の実力を認めてくれているのかも、などなど、おだてられた子豚よろしく、胸がドキドキしてしまう私。
大先輩ばかりのチームだから、手術前のいろいろな準備が私一人の仕事になる。この日は年に1度の外科手術練習という、自分たちにもメスを握るチャンスが回ってくるのだが、当然そんなことをしている余裕はない。あちこち走り回りながら、ドリームチーム見習いは大忙しだ。この大仕事、緊張やプレッシャーを感じないでもないのだが、そんなものにひるんでミスを生み出すわけにはいかない。多分私の心臓は毛が生えている。プレッシャーが自分の力を引き出してくれるような気がする。まあ、多分勘違いかも知れないけど。
手術はボスの執刀、ドリームチームの助手陣、そして周囲に研修医があふれ、手術室は誰一人私語を口にしない。ボスの手術はものすごくスピードが速い。決して雑ではなく、ひとつひとつの動作に無駄がなく早いのだ。昨年出版された「小動物腫瘍外科」というDVDつきの本を購入した獣医師からは「動画を早送りしないでほしい、普通の速さの手術が見たい」とクレームがつき、編集者が困っていた。あれがナチュラルなスピードだとは、普通の人には思えない。そして今日は、できるだけ麻酔時間を短くするために、ボスのギアは最初からトップに入っている。
こんなときに糸を出すタイミングが少し遅れても「バカヤロウ!!」と怒鳴られてしまう。そう、こんなリスクの高い手術で1秒でも無駄な時間を作るのは、バカヤロウなのだ。反論なし。
ちなみに同様の肝臓の右側の切除手術で、アメリカの有名な先生は5頭中2頭、手術中に血管を傷つけて死亡させている。数は少ないけれど、術中死40%という数字が導き出される。大胆で繊細なボスの動きに、助手がついていけなければ、やはり難しい。執刀医と助手の息が合って初めてトップギアのボスのメスさばきが生きるのだ。そして、私のポジションは器具係といって、次に使われる器具を出していく、それだけかと言われちゃうとそうなのだが、これもトップギアのボスのスピードについていくのは並大抵のことではない。ここでこうして器具を出すのも、大切なポジションだし、同期のイワサキは私の器具係はピカイチだと言ってくれる。ああ、日頃の小さな努力って報われるのだな。それでも、何度か怒鳴られた。ああ、まだまだだ。でも、今日のボスはいつも以上に神経がぴりぴりしている。
自分の飼っている動物を手術した経験は、実はハックの去勢手術だけだ。それも、まだハックを飼うことになる前だから、厳密にいえば自分の犬ではなかった。初めて勤めた病院で初めてやった犬の去勢手術がハックだった。自分の動物を手術するというのは、どんな気持ちになるのだろう。私も冷静にメスを動かせるだろうか?

手術は1時間ほどで終了、手術中血圧と心拍数が落ちてひやりとする場面もあったが、なんとか切り抜けた。麻酔から目を覚ましたももちゃんを、ボスが自ら抱き上げて入院室へと移動していく。普段は見られない光景だ。
腹腔内の大きな腫瘤を摘出した後怖いのは、出血、イレウス(腸重積)、そして、ももちゃんは痛がったり苦しがったりするととたんに心臓に負担がかかる。痛みのコントロールはいつも以上に厳重で、手術後モルヒネをうってもらう。そして、モルヒネと同類のシップのような形になっている痛み止めも処方され、毛を刈った皮膚に貼り付けてもらう。1時間ごとに尿量や心拍数、呼吸の状態をチェックするのも、私の役目だ。ボスは9時くらいまで様子を見て異常がなければ、それで今夜はおしまいでよいと言っていたけれど、あれこれ仕事をしていると10時11時と時間はたつものだ。その頃になって、私がまったく外科実習に参加できてなかったことに気づいてくれた先輩が、あおるようにして私を呼びつけて(?)自分の外科実習を始めたけれど、もしここで呼ばれなかったら私は今年の外科実習はまったく参加できなかったに違いない。終電に間に合わなくなりそうな先輩は、縫合を私に任せて帰っていった。そのあと、小さな手術を二つばかりして、また入院室に戻った。
しかし、その後、自分が面倒を見なければならない今年の新人の、学会発表の演題のことで話をしていたら、結局3時半になった。さすがにまぶたを開けていられなくなり、研修医室の隅っこで折りたたみイスを3つ並べて横になる。体力なくなったなあ、死にそうに眠い。

体が痛くて5時50分頃目が覚めた。起き上がりそのまま入院室に行ってももちゃんの部屋を覗き込む。小さな小さな寝息を立てながら、とても大手術の後とは思えないほどよく眠っている。心拍も異常なし。おしっこも出ているから、腎臓もちゃんと働いている。7時すぎて誰かきたら、すぐにレントゲンを撮れるように1階の現像室に行き、自動現像機のスイッチを入れる。こいつが温まってくれないと、朝一番のレントゲンが朝のラウンドに間に合わない。血液検査の機械もスイッチ入れとこう。
そんなこんなで、ばたばたと過ごし、なんとか昼休みにももちゃんは自宅へと帰って行った。ボスと一緒にももちゃんを送り届けた同期の獣医から「はい、ひびちゃん、これおとうさん(ボス)から」と渡されたのは、大きくて立派なメロン!!ボスの気持ちだそうです。ありがとうございます。ひびは、やっとほっとしましたー。

あー、しんどい一週間だった。週が明けて、やっと疲れがとれるくらい、体力的・精神的にぎりぎりの一週間でした。

Saturday, July 09, 2005

大阪より

今日から日本獣医がん研究会で大阪に来ている。そういうわけで、携帯から。大阪夏の陣は熱いですよ!

Tuesday, July 05, 2005

助手

プラハのバーディくんの訃報が入って以来、気分も沈みがち、涙腺もゆるみがちである。しかし、この訃報を助手にどう伝えるべきか悩み、いまだに伝えることができない。
昨日、どこに旅行に行きたいかという話をしているとき、助手が「タイはやだ」と言い出した。以前は、タイに行ったらスイカジュース(テンモーパン)を飲みたいとか、住んでいるときはどこに行ったことがあるとか言っていたのに、今は嫌だという。「だって、もうバーディくん、いないんだもん」・・・!!
私は何も言ってない。助手はバーディ君たちがバンコクを離れ、プラハに行ったことしか知らないのだから、言っていることの辻褄は一応合っているのだが、タイミングも合いすぎている。第六感か?
助手はバンコクにいるころから、バーディくんのことが大好きである。当時まだ仔犬だったバーディくんと助手は精神年齢がほぼ同じだったからだろうか、助手にとっては特別な犬であった。またバーディくんのママも助手のことを可愛がってくれたので、助手は今でもバーディくんやバーディくんのママのことが大好きだ。だから、いつかプラハまで会いに行こうと思っている。それまでに、どうやって助手に真実を伝えようか、悩んでいる。

Saturday, July 02, 2005

訃報

先ほどメールを開いたら、プラハから悲しい知らせが届いていた。ただただ信じられない気持ちでいっぱいで、お悔やみの言葉もすぐには出てこない。あの人の悲しみを慰めることもできず、情けない。

Friday, July 01, 2005

2週間分合算

あんまり更新していなかったので、Jasmineはそんなに忙しいのか、はたまた体でも壊したかとご心配されるむきもあるやもしれぬと思いつつ、なかなかキーボードに向かう気になれなかったというのが実際のところである。学会の抄録の原稿はなんとか通ったものの、ほっとしたのもつかの間、年に2回ほど順番で回ってくる、モーニングセミナーという英語論文を読んでスライドにしてみんなに紹介する、新たなプレッシャーがのしかかってきたのだ。
順番どおりにいけば私は7月中旬だったので、後輩のめんどうを見つつのんびり面白そうな論文を探そうと思っていた。ところが、ボスと先輩のご指名で7月に開催される「日本獣医がん研究会」の今年のメインテーマに沿った文献を、どーしても研究会前にやってほしいといわれて「はい」と言ってしまったのだ。あー、あたしのバカバカ。しかしJasmineに二言はなし。「やると言ったからにはやれ」というのがボスの決まり文句でもある。そして再び電子辞書大活躍。
その合間を縫って、ブログの更新くらいはできるだろうと常々思っていたのだが、私の日常には比重の軽い私の頭を悩ませたり、肺活量だけが十分な胸を痛めつける出来事が意外と多く、それをどうやって書いたものかと考えているうちに、時間も押し迫り結局更新できなかった。

半年前に私が診断した、肋骨に骨肉腫のできた17歳の老犬。10年前から預かっている犬だということで治療も希望せず、半年振りに診察を受けに来たかと思ったら、犬はもうほとんど虫の息。おしりの周りにはウジがわいている。昨日からぐったりしているというが、本当はもっと前からのはず。ウジがわくのは動けない動物にだ。動いている動物にウジはわかない。そのうえ、夜中も吠えるし面倒を見切れないので何とかしてくれ、という。自分の犬ではないから治療は勝手にできないし、お金もかけたくない。みんな忙しくて世話をしてやれないのは、可哀想だから、何とかならないか、なんて言われても魔法使いではあるまいし、ほったらかされて死にそうな犬を、お金も時間もかけずに治すことなんかできないのは、誰もが十分承知していることだ。連れてきた犬の預かり主が望んでいるのは、「安楽死をしてほしい」ことだというのは、すぐにわかる。でも、そんなこと引き受けない。
「安楽死」というのは、人間ではまだ認められていないことだけれど、獣医の世界では獣医師に許されている。動物の計り知れない苦痛を取り除く、最後の手段だ。それは飼い主によって依頼されるのだけれど、私はその安楽死を引き受ける基準を自分自身の中で決めている。
1.動物が抱えている病気や怪我が致命的であること。2.それがもたらす苦痛に対して何の治療方法も対処方法もないこと。3.安楽死によって動物も飼い主も救われること。
それ以外にも状況によるのだけれど、最低限この3つは重要だと思っている。安楽死について獣医師が何の基準も持たずに全てを引き受けてしまったら、それは安楽死ではなく殺処分なのだ。あの犬は、骨肉腫でもまだ耐え難い痛みもないし十分な介護を受けられれば、苦痛は少なく残された時間を過ごせるだろう。それは私の中では安楽死の基準に合致しない。面倒見切れないから、というのは殺処分なのだ。それ以上に許せないのは、犬を連れてきた預かり主が、犬に対して愛情をもって安楽死を望んでいるのではない、ということだ。だから、私は断った。どうしても、というのなら本当の飼い主さんから院長先生に依頼してください、と断った。
でも、後から考えた。たとえ苦痛がなくても、愛情を受けずに家の軒先にウジがつくまでほったらかされて生きていくのは17歳の犬にとって、どうなんだろう。幸せなんだろうか。私が獣医師として目指しているのは、みんなのHAPPYだ。あの犬は幸せだといえるのだろうか。安楽死をしてやるべきだったのか?
いやいや、私に彼の命を終わらせる権利はない。これでよかったのだ、と思いながらもなんとなく考えが沈んでしまい、結局日記として書くことはできなかった。

この間、大学に診療にきた8才のゴールデンレトリバーは、肘にできた腫瘍をかかりつけの病院で2回手術した。2回とも「血管周皮腫」という比較的良性の腫瘍と診断されたが、どちらも腫瘍の取り残しがあった。これは腫瘍のできた場所が肘だったので、十分腫瘍を取りきるのが難しかったということもある。どうしても腫瘍を全部取るというのであれば、断脚せざるを得ない場所だった。飼い主が断脚を拒んだために肘の腫瘍だけをできるだけ取ることになった。
血管周皮腫という腫瘍は、普通そんなに転移をしたりすることはないのだが、同じところに何度もできるしつこい性格をしている。そしてそれを何度もとっていくうちに、だんだん悪性のものへと変化していくことも多く、実は決して侮れない腫瘍なのだ。ところが、かかりつけの動物病院でその説明をしていなかった(理解していなかった?)ために、事態がややこしくなる。
2回手術をしてそれでもまた腫瘍が大きくなってきたので、飼い主はまた動物病院に行った。でも今度は別の病院に行った。もともとのかかりつけの先生が「この腫瘍はできたら切るだけ。」という説明しかしてくれなかったのが信じられなくなったのだ。そして新たに行った病院で検査を受けたら、肺に転移しているかもしれない、といわれてしまった。飼い主は混乱してしまったし、その病院の先生も対処に困ってしまう。よそで2回手術してさらに悪性になった腫瘍が肺転移している、となると、どういう説明をしていいものやらそれすらわからない。もちろん、どんな治療をしていけばよいのかもわからない。そこで、その先生は大学病院に紹介することにした。そして私の目の前に登場することとなった。
腫瘍は右ひじのちょうど曲がる角のところ、肘の外側にがっちりとくっついていて、筋肉もおそらくその下の骨の膜も巻き込んでいる。これを手術で取り残さずにというのは、いくらうちのボスでも無理だなと思いながら、胸のレントゲンを見て思わず凍り付いてしまった。肺の中にピンポン玉サイズの白い影がいくつもうつり、そのうえ、もうひとつ、テニスボール大の白い影もくっきりとうつっているのだ。肺転移が進行している。このあと、ボスがどんな判断を下すのかは聞かなくてもわかる。オペ不適。肘の手術をしたところで、肺転移が進んでいるので、残された時間が短いのは変わりはなく、逆に麻酔をかけたりすることで体力を奪ってしまい寿命を縮めることにもなりかねない。果たして、その宣告を受けてしまった飼い主が最後に力なく私に問いかけた。「これから、どこへ行けばよいのでしょう。」一縷の望みを持って来た大学病院で、積極的ながん治療ができないと言われてしまったのだ。そして、余命は長くて半年、早ければ数ヶ月あるかどうかとまで言われてしまった。あとは、残された時間をできるだけ苦痛なく過ごさせてあげることが最大の課題だ。それを医療の側、つまり紹介してきた動物病院で支えてあげることができるだろうか。それは医療レベルだけでなく獣医師の人間性も大きく左右することだ。これもまた、胸に重くのしかかる出来事だった。

そんなことばかりが続くと、さすがの私も仕事をしていてしんどくなる。こんなときこそ、テンションあげていこう。私の元気のもとは、お散歩の途中で愛想をふりまきに病院に寄り道する蝉丸(柴犬)とか、リンパ腫の治療開始からもうすぐ1年になるテリー君だ。待合室に尻尾を振りながら入ってくるのは君たちくらいかもね。でも、うれしいよ。みんながHAPPYだと私もHAPPYだよ。そしてまた、取り戻した元気をみんなにも分けてあげよう。あー、自分が単純でよかった。