Wednesday, April 27, 2005

作戦B´

結局学会発表のネタは猫の鼻の中のリンパ腫に対する治療法の検討ということに落ち着いたが、大学の名前をしょって発表するだけに中途半端は許されない。ぎりぎり何とか決まったものの、資料集めは膨大だしそれを形よくまとめなければいけないし、何よりもストーリーが必要なのだ。自分はこれらの症例からこういうことを言いたい。そこにいきつくまで、膨大なデータをどういうふうに味付けて料理するかが、自分の技量ということになる。またまた英語の文献を何本も読まなければならず、医学辞書の入っている電子辞書をとうとう購入しようかとヨドバシカメラに行ってみれば、それは受注生産で価格も6万円ちょっとするという。
同じ医学辞書のPC版なら自分のパソコンにインストールしてある。しかし、持ち歩きに不便だしいちいち起動しなければならないのもあり、結局そんなに出番がない。持ち運べる医学辞書、大学の生協で買えば49800円だということを、今日知った。悩みに悩んで、でも宝くじでも当たったら買うことにした。
そんなことより、開業を急がなければならないかもしれない。同じ大学の腎泌尿器科の研修獣医師が、私が開業を考えていたあたりに動物病院を建設中らしいのだ。私の実家が第2東名の工事で立ちのきになるのを待っている場合ではない。しかし、病院の場所探しは融資のからみもあってタイミングをよまなければならない。そろそろ本腰入れて考えなければ。

Friday, April 22, 2005

作戦変更

生まれて初めてだった昨年と違い、今年の学会発表は狙い定めて準備少々。これでいけるかな、と思った題材も考えれば考えるほど、なんだか感触がいまいちな気がしてくる。もしこれを発表しようと思うといってボスにダメ出しされて、そこから次を探すのは時間がなさすぎる。だから、はじめから作戦BもCも用意することにした。そうはいっても、準備をしてみたのは最初の1例だけで、あとは思いつくままテーマだけ漠然とリストアップだ。
そして今日、診療がすべて終わった後、ボスに「こんな症例を発表しようと思うんですけど」と持っていったが、やはり感触はよくない。ここでOKが出なかったら、発表はできない。OKではないが反応は悪い。そこで即座に作戦変更する。「実は、いくつかほかにも考えていたのがあって」と切り出してみると、意外といい反応だ。結局作戦Bをもう少し煮詰めていくことになった。このへんの切り替えの早さは、大変重要である。臨機応変であることは、臨床家にとって大事だから。
ほっとしたのもつかの間、先輩にその話をすると、そのテーマは治療成績がいまいちだから他のものにしたほうがよいとおっしゃる。そして、先輩のおすすめは作戦Dである。結局自分でもBかDか決めかねたので、カルテを集めて比較してみることにした。なんて書くと簡単そうに見えるが、13ものカルテをまとめるのはなかなか骨の折れる作業だ。今週末、助手の授業参観で仕事は休みになっているが、午前中は大学に行って資料やカルテの整理をしなければならないし、日曜日もつぶれるだろう。
なんにしても、週末をつぶせば来週木曜日の発表演題申し込みしめきりには間に合うだろうか。はらはらしつつも、決まりそうでちょっと気分的に余裕が出た。このまま勢いでゴールデンウィーク中に抄録まで書き上げてしまおう。年に1回以上の学会発表は、避けられない研修獣医師の義務なのである。

Wednesday, April 20, 2005

これでどーだ!!

もう午前1時をまわってしまった。早く寝なくちゃ、明日は腫瘍科、お弁当作って持って行きたいから5時過ぎには起きるつもり。
9月の学会(日本獣医臨床フォーラム年次大会)で発表するためには今月28日までに演題の申し込みをしなければいけない。その前に腫瘍科のボスを通さなくちゃいけないのだけど、これがちょっと大変。自分が選んだ症例がだめだしされちゃったらまた1から探しなおしだ。考えた挙句、こうしてみた。
「ワクチン接種後線維肉腫の切除後、両後肢に骨外性骨肉腫を発生した猫の1例」
これでいってみよう。これでどーだ。

Monday, April 18, 2005

腫瘍科2年生

今日の日記に入る前に、ホームズ君のことを書いておこうと思う。
バンコクに住むホームズ君のお母さんと知り合ったのは、私が日本に帰国しちゃってからのことで、バンコクに住んでいる頃知り合ったtemarioさんという日本人女性の紹介だった。なんでも当時すでに15歳だったホームズ君が、自己免疫性の皮膚の病気で、ステロイドホルモンの治療をしなければならなくなると言われ、ホームズ君のお母さんが、とても不安になってtemarioさんに相談したところ、temarioさんは私に紹介してくださったのだ。お互いに面識のない、ましてや実際に見ることのできない皮膚の状態を、正確に把握したりさまざまな検査の指示を出したりするのには何通ものメールのやりとりがあった。その結果、私はホームズ君の皮膚の状態が自己免疫性のものではなく、重度の膿皮症、つまり皮膚の抵抗力の低下から普段はなんともない細菌によって湿疹ができてしまうというものだと判断、シャンプーの指定とCharoensuk動物病院への通院を勧め、ホームズ君はステロイドホルモンをまったく使わずに皮膚をほぼ正常な状態まで戻すことができたのである。
その後、日本に帰国してから1年後の世界小動物獣医師年次大会inバンコクで再びバンコクに行ったときに、ホームズ君とお母さんに初めてお目にかかった。ホームズ君に会ったのは後にも先にもそれきりである。しかし、クリスマスシーズンにはクリスマスツリーと並ぶホームズ君の画像の入ったメールをくださり、ホームズ君がまた新しい年を迎えることを私もうれしく思ったものだった。
そのホームズ君とご家族が今年四月に日本に帰国することになったと、昨年のクリスマスのメールで知った。もしかしたら、日本でまたお会いできるかもしれない。ホームズ君とお茶する機会があるかもね、少しだけ期待をしていたが、先日ホームズ君のお母さんからご連絡をいただいた。
ホームズ君は17歳という高齢であり後ろ足も若干不自由だったため、お母さんのご実家で自宅検疫となっていたのだが、腎臓機能の低下により帰国から1週間で天に召されたとのことであった。とても残念であるが、たった1週間でも、お母さんと一緒に日本に帰る時間を残してくれたことを神様に感謝したい。ホームズ君のご冥福を心からお祈りします。

さて、新年度が始まり腫瘍科も2年目を迎えた。今年の新人は5人、そのうち臨床3年目の女性獣医師が私の下につくことになった。オーベン・ネーベン制度といってドイツ語らしい。医学部で行われているらしいのだが、オーベン(先輩)はネーベン(後輩)の指導にあたり、公私共に相談にのったりするというものだ。もし後輩獣医師が何かやらかせば「オーベンは誰だ」と責任を負わされたりするし、学会発表やらモーニングセミナーという英語論文の訳の指導もしなければいけない。論文の探し方も資料の見つけ方も、その他もろもろわからないことに答えなければならない。
今年の3月に腫瘍科の先輩獣医師が何人も抜けたために、腫瘍科のメンバーの半数が2年生以下という事態となった。そうなると、2年生の中からオーベンになる人間も出てくる。オーベンになるのは診療日の小グループである「藩」の藩長クラスや、経験年数の長い先輩というのが慣わしであったが、なぜか今年はちょっと違うようだ。2年生8人中、オーベン3人ネーベン5人、新人の指導にまわる人間が3人出たのだが、3人とも藩長ではない。ついでにいうとこの中で認定医は1人だけだ。さらについでにいうと、認定医に合格しながら指導を仰ぐ側になった人間の方が多いのだ。認定医だからとか藩長だからとか、そういう理由だけでオーベンとして指名されるわけではないらしい。どういう基準で選定されたのかわからないが、今年の2年生はなぜか、弱肉強食・下克上ありの混沌とした人間関係を余儀なくされている。なんだかよくわからなくなってしまったかもしれないが、とにかく、後輩のめんどうを見なければならないのである。この、認定医試験に落ちてしまった私が!藩長になるにはまだ早いと立候補を見送った私が!
はっきり言って、めんどう見てもらえる立場のほうが楽チンである。学会発表のネタを探すのだって先輩が一緒に悩んでくれるし、やばいかな、というときだって支えてくれたりするし、ちょっとした相談だって何だってオッケー、なのだから。ところが、自分がオーベンになってしまうと、相談する相手に困る。もちろん相談する相手がいないわけではないのだが、そこまで親身になって相談にのってくれる相手ではないし、自分の面倒を自分でみたうえに誰かの面倒まで見なければならないのだ。えー、私にそんな実力なんか、まだないよー。しかし、腫瘍学的なことだけでオーベンになるのではなく、飲み会で毎回誰かをつぶしているような人間は決してオーベンとしての資質はない、とされる。当たり前だけど。結局のところ、私はみんなより「大人」で私生活では「お母さん」だというところを買われているのだろう、と思う。それだけで、できるもんじゃないでしょーに。
じゃあ、「できません」と言えるかといったら、そんなこと言ったが最後、腫瘍科で二度とそんなチャンスは回ってこないだろう。できない人間にはできないというレッテルを貼られてしまう、そんな厳しいところなのである。だから、オーベンになってしまった私は、オーベンとしての役割をこなすしかないのだ。内心どんなにしんどくても。なんだか長女って損ね、って感じだ。
「日比先生ならできるよ」何回言われたことだろう。私はできているのだろうか。周りが自分を過大評価しているのではないかと、いつも不安に思う。周りの評価に追いついていない自分。いつもいつも不安だ。

そんなわけで自力で学会発表の症例を探すこのごろだが、たった1年前が懐かしい。先輩にお尻を叩かれるようにして学会発表にこぎつけた。今年はその先輩もいない。自らのお尻を叩くのって、意外と難しいんだな、と思う今日この頃である。

Tuesday, April 12, 2005

インスリン10倍事件

昨日雨降りの愛川町は、いつもどおりのケンちゃんとテリー君のリンパ腫の治療と、そして糖尿病のプーちゃんの新しいインスリンを使っての1日がかりの血液検査だった。
獣医療の現場では糖尿病の治療の人間のインスリンを使っている。昔々、私がまだ大学を出たばかりの頃にあったインスリン製剤は、その後新しい技術の躍進と狂牛病などの問題から姿を消していき、そしてさらに、小動物でも使いやすいサイズのインスリンは人間ではあまり使われないのでそれもまた姿を消し、残っているのは、小型犬や猫では使いにくいインスリンとなり、また猫で使われることも多かった長時間作用するインスリンはこの4月までに市場から消えた。そんなわけで、きっちりと糖尿病を管理しようとすると、猫では1日3回のインスリン注射が必要となるケースもあり、なかなか飼い主の負担も大きくなってしまうのだ。
そこに、近年登場したインスリンの類似物質である「ランタス」という薬は人間では超長時間型のインスリンと言われ、1日1回の注射で済むらしい。そのうえ、今までのインスリンのようにはっきりとした「ピーク」と呼ばれる最も作用の強い時間帯というのがないため、急激な低血糖もおこしにくい。これを獣医領域の先生方がほうっておくわけもなく、いろんな学会やセミナーではこのインスリン製剤に関するトピックや症例報告を目にすることが多くなった。私もここ最近、大田区の方で使い始めたのであるが、これがなかなか感触がよく、安心して使えるという印象があった。
そこで、プーちゃんも昨日の朝ランタスを飼い主のお姉さんの前で説明をしながら注射をして、そのまま1日預かっての2時間おきの採血と血糖値のチェックである。「これは、薄めたりすることができないので、この特殊な注射器で1.8目盛りです。ほんのちょっとなので大変ですが、頑張ってください。」
そして、昨日の夜9時過ぎにプーちゃんのお迎えに来たお姉さんに注意書きや今後の通院予定をパソコンで作成したものを手渡した。FIV(猫免疫不全ウィルス)にも感染しているプーちゃんには免疫を高めるために猫用のインターフェロンを週1回注射することにしてあり、腎臓も少し悪いせいもあって貧血があるので造血ホルモンの注射も週3回うつことになっている。そして来週の月曜日、また私がチェックをして問題がなければ、ランタスを続けていく予定になっていた。これでまたしばらく、平穏な日々を送れるだろう。

ところが、である。昨日の夜、プーちゃんのお迎えを待っている間に入った急患の猫の容態を問い合わせたメールの返事に、意外にもプーちゃんのことが書いてある。「夜中に低血糖を起こしたそうです。」えー、そんな、あり得ない!!
最後の検査で少し高めの血糖値を示したので効果が数時間しかない短時間作用型のインスリンを少量入れはしたが、そんな低血糖をおこすような量ではないのは、今までの検査の結果から明らかであり、ランタスの作用を考えても低血糖をおこすようなギリギリの使い方を私は指示した覚えはない。もし私が指示したとおりに注射して本当に低血糖をおこしてしまったのならば、逆にプーちゃんは糖尿病ではない状態にあったと考えられる。なんにしても、心配だ。
その後、5時過ぎにメールが入り、プーちゃんが来院し血糖値が25mg/dlだという。通常血糖値は80~120mg/dlくらいに維持されるようになっており、そのくらいの低血糖だとぐったりしてしまっているはずだ。案の定、プーちゃんは頭も上げないらしい。今日は頼れるキムが愛川町に入っている。あれこれ、考えられることをメールで説明し、今後のことを検討する。とにかく、そんな低血糖をおこすようなランタスの量ではないはずなのだ。おかしい。振り出しに戻るのだろうか。
そして、その後真相が判明した。昨日の夜と今日の朝、飼い主のお姉さんが「1.8」と「18」を間違えて注射していたのだ。10倍の量のインスリンが入ったら、こんな低血糖で死にかけるのも当たり前である!!おそらく、今までのインスリンは希釈したものだったので、1回に注射するときに「20目盛り」とか「30目盛り」とか指示を出していた。それでいつもの習慣で18目盛りをすってしまったのかもしれないが・・・・。私は2回以上説明したはずである。朝は目の前でこんなに少ないのだというのを見せてもいる。なぜ間違ってしまったのか。その答えは、おそらく明日、大学の腫瘍科でキムに会った時に聞くことができるだろう。
プーちゃんは夜10時ころ、血糖値が70まであがったそうだ。なんにしても、生きていてくれてよかった。

Sunday, April 10, 2005

翼の生えた靴を履いて

午前4時に目が覚めているときというのは、どんな気持ちなのだろうか。それは眠れずに朝を迎えつつあるのか、それとも浅い眠りしか得られず目が覚めてしまったのだろうか。金曜日の朝、起きて携帯を見たら、午前4時に会津若松で開業している友人からメールが入っていたことに気づいた。
どうやらいろいろ悩んでいるようであり、そしてどうにもならない、どうにもできない、学生時代と同じように早口の東北弁で気持ちを吐露するようなメールである。
彼女とはだいがくの入学式当日に大学生協主催で行われた新入生歓迎会で同じグループになって以来のつきあいだ。彼女はショートカットにネクタイとスーツで、背も少し高いので一見すると性別が不明であった。そのうえ、名前も男女どちらでも通用しそうな名前なので不思議な人だと思った。出席番号も近かったので、その後も実習などで同じ班になることもしばしばあり、東北訛りの抜けない朴訥とした彼女とはいつもくっついているわけではないが、仲がよかった。学生時代私は柔道部、彼女が剣道部だったので、2人で武道場でおしゃべりをすることも多かった。彼女の話を聞くのはいつも武道場だった。田舎から荷物が届くと、その中に入っていた福島のお菓子を授業の始まる前に「まり、これ」と言葉少なに渡してくれた。秋になってユーミンの新しいアルバムが出ると、それをカセットテープに録音してくれて、やっぱり突然「まり、これ」と私にくれるのだった。まっすぐな性格で妥協ができなくて一生懸命で、いわれのない中傷を受けたりするとひどく傷つき、そんなときも武道場で長い時間、話を聞いていた。
不思議と一緒に遊びに行った記憶は少ない。卒業旅行で九州に行ったときと、卒業間近に同じメンバーでディズニーランドに行った位じゃないだろうか。
卒業してから彼女は平塚の動物病院に就職し、私は座間の動物病院に就職した。ほどなく彼女が私の住んでいた厚木から相模川を渡ってそう遠くないところに引っ越してきたので、私は仕事が終わってから車でまっすぐ帰らず、しばしば彼女の家に寄り道してコーヒーをごちそうになり、夜中まで獣医の話で盛り上がった。コーヒーを差し出しながら「まり、ケーキあるよ。」といって冷蔵庫からケーキを出してくるのが常であった。
卒業して二年目に入るころ、彼女は仕事のストレスから体調を崩すようになり仕事を辞めてしまった。牛や豚を相手にする大動物医療と私たちのように犬猫などを相手にする小動物医療は事情が多少異なる。大動物は産業動物とも言われ、食料であり商品である。だからその価値が重要視されるが、小動物はかけがえのない家族として存在することもあるので、大動物ではあきらめてしまう場面でも小動物ではできる限りの治療を続ける、ということも多い。彼女が就職した病院はもともとは大動物の獣医であったため、彼女は院長の治療方針に納得がいかずとうとうそのストレスで変調をきたしてしまったのだ。
ちょうどその頃、私が勤めていたのは横須賀の病院で獣医師が私を含めて4人しかおらず、毎日がものすごい忙しさであった。そこの院長先生が「アルバイトでもいいから誰か来ないかしらね」と言ったのを私が聞き逃すはずはなく、さっそく彼女に声をかけた。海老名から横須賀まで、通勤するにはちょっと遠いのだが、彼女は横須賀まで来ることになった。後で聞いたところによると、その頃の彼女は獣医という仕事自体に嫌気がさしてしまい、そのまま獣医なんて辞めようかという心境だったらしい。それが横須賀の病院で仕事をするうちに、この仕事の楽しさを思い出したのだということを、横須賀の病院の院長先生に語っていたのだそうだ。
それから数ヶ月彼女とは一緒に仕事をしていたのだが、その年の12月、彼女は開業準備のため福島に戻り雇われ院長をすることになった。彼女の引越しの日、荷物をすべて積み込むと、帰ろうとする私の背中に彼女が声をかけた。「ありがとう。まり、好きだよ」
それからは頻繁に会うことはできないけれど、夏休みに会津若松まで会いに行ったり、結婚式に呼んだり、最近はメールという便利なものがあるので、たまーに連絡をとりあっている。お互いに忙しくてとてもじゃないが、ゆっくり休みをとってなんていうことができない。
会わないからといって、友達じゃなくなったわけではなく、お互いにどうにもならなくなったときにこそ、頼る相手として存在している。もともと私は悩みを人に打ち明けたりすることはほとんどないのだが、フィリピンにいるときに猫が具合悪くなったときは泣きべそかきながら、彼女に電話をして話を聞いてもらった。2年位前にも、朝5時過ぎにメールがきて、返信してまたメールが来て返信して、結局そのときは電話がかかってきて話を聞いた。
本当は今回も話を聞いて欲しいし私の声を聞きたかったのだろう。朝の4時の、彼女の気持ち。

そう思うといてもたってもいられず、昨日仕事が終わってからそのまま東京駅に向かい新幹線に乗って郡山まで行き一泊して、今朝9時半に会津若松に立っていた。別に遊びに行くわけではない、顔を見るだけ見せるだけなのだから、日帰りでも問題はない。ただ、あちらは診療時間なので邪魔をしないように、仕事の手伝いをできる着替えと聴診器を持参した。
駅からタクシーに乗り、病院の前でおりると、彼女のお母さんが彼女の娘を連れて散歩に出ようとしているところである。駆け寄って声をかける。「こんにちは、ごぶさたしてます。」「あらあ、まりちゃん?どうしたのー?」「昨日ちょっと郡山で用事があったので、足を伸ばして顔を見に来ました。(うそ)」すると、お母さんは病院の中に入り、彼女を呼んできた。彼女は私を見るなり大きな目をうるませて「まり・・・」と一言だけ言うと私に抱きついてきた。おいおい、患者さん見てるよー。^^;
いかにも何事もなかったかのように偶然こっちの方に来たことを強調したが、彼女にはわかったに違いない。私が翼の生えた靴を履いて、私たちを隔てる距離をひとっとびしてきたことを。だいたい、洗い立ての外科着(スクラブという)と聴診器を持ってでかけるなんて不自然だ。確信犯だ。
日曜日でスタッフが少ないので診療の手伝いにまわり、犬を保定したり点滴の機械を調節したりする。それにしても忙しいな。夫婦2人が獣医で、午前の診療が終わる12時になってもまだ7件も診察待ちになっている。近隣でも評判がいいのか、喜多方市や裏磐梯からも患者さんが来ている。それは友人として誇らしい限りである。
お昼ごはんを一緒に頂き、午後の診療が始まる4時よりも前に出発した。駅までは彼女のお母さんが送ってくれるというのだが、お母さんがいないと子供の面倒を見る人がいなくなってしまう。だから、4時にはお母さんが戻れることを計算する。電車の時間は4時37分の磐越西線、新幹線は郡山6時1分だ。ゆっくりしていけば、というお母さんに、乗り継ぎの関係でおみやげをゆっくり買えないので早めに行きます、と告げる。
たった6時間の滞在、その間も仕事しているから会話も多くはないし、肝心の話はできなかったのだけれど、少しは気晴らしになっただろうか。

大学5年生から6年生にかけて、私が精神的に完全に参ってしまったとき、私はそれを誰にも相談することがなかったので、仲のよかった友達は誰もそれに気づかなかった。それがみんなに伝わったとき私は今度は完全に体調を崩し、数日間入院する羽目になった。それはちょうど国家試験の模擬試験を学内で行うときであり、私は試験を1回受けることができなかった。そんなことよりも、私は参ってしまっていたのである。いろんなことに。
そんなときも、彼女は多くを語らなかったけれど、目の前に現れては「まり、これ」といって試験の資料や予想問題なんかを手渡して、短い会話をして、じゃあと去っていく。いつも同じスタンスで、離れることもくっつきすぎることもなかった。でもお互い好きだった。異性ならともかく、同性でこんなふうに好きだと思える人は他にいない。
そんな友人がいることを私は幸せに思う。そして、私がいる、ということが彼女の支えに少しでもなれたのなら、それもまた幸せだと思う。
れいちゃん、明日も頑張って行こうぜい!!

Wednesday, April 06, 2005

今日もDM

4月である。今日の暖かさで厚木周辺の桜も5分から7分くらい咲いている。学校は新学年、新学期。新社会人は、おいおいスーツが浮いてるよ。もう社会に出て十数年、気分くらいはパリッといきたいものである。助手も3年生になった。また大きくなって、半年前のジャンパーがもう着られない。
ところで、今年の桜はどんなに満開になろうと、私にとってその美しさは半分くらいしかない。もう以前書いたとおり、試験に落ちたあとの桜なんか全く綺麗じゃないのだ。できれば雨でも降ってとっとと散ってしまってほしいくらいだ。これが合格していたら、この後1年間が違うものになっていただろう。桜もさぞかし目にしみることだろう。調子にのってやりたいことばかりしているからだろうか、神様のげんこつでも食らった気分だ。

いよいよ明日から大学の診療が始まる。本当は水曜日からなのだが、水曜日は手術日で今週は手術がないため休みとなった。貴重な貴重な、春休み最後の1日である。市役所行かなくちゃ、あと銀行行かなくちゃ、と朝から「やることリスト」を書いて時間の配分を決める。そして、バイクのエンジンをかけ一路愛川町へ。あれれ、市役所はそっちじゃないよーと思われる方がいるかどうかはわからないが、市役所は5時まであいている、銀行もまだまだ大丈夫。それよりも先に行かなければ行けないのは、プーちゃんの待つ動物病院だ。1日中血糖値とにらめっこしていたのはおとといだが、それだけで治るような簡単な病気ではなく、昨日も今日もプーちゃんは病院で1日中点滴を受けながら血糖値のコントロールを受けている。昨日は血糖値が52mg/dlまで下がってしまったらしい。いくら糖尿病だからといっても治療のために血糖値を下げればよいというものではない。適正な血糖値というものがあるので、それはいくらなんでも下がりすぎである。
今日も朝一番から来ているはずだ。その血糖値いかんで今日の治療方針が決まっていくので、行く前にメールをして今日の検査の指示を出しておいた。
ところが行ってびっくり、今日は誰もメールを見ておらず、私の指示など誰も知らなかったのである。もー、意味ないじゃん!!しかも、貧血があるからといって点滴をしていない。貧血も大変だけど、脱水も大変なんだよー、そこのところさじ加減して入れなきゃダメじゃーん。ため息つきつつ、この先の指示を出す。休みの日まで出てきてしゃしゃり出るのも、迷惑かもしれないけどさ、ほっとけないんだよね、この状態じゃ。プーちゃんの今の状態は、あと何歩か踏み込んだらめじろちゃんと同じことになるくらい、いい状態ではない。糖尿病で食欲なくて、なんて最低だ。坂道をころがる音が聞える気がするくらいだ。
血糖値さえ下がれば、プーちゃんは食べ始めることはおとといわかった。今日は朝自宅でいつものインスリンをうってきているので、とりあえず血糖値の下降を見守る。250を切る頃から食べ始めるはずだ。しかし、今日はw/dを食べない。腎臓が悪い猫用の流動食のパウダーを溶いたものも今日は口をつけない。悪化してしまったのだろうか。
病気の治療で大切なことは、検査の結果が正常範囲になることだけではない。数字だけではだめなのだ。動物をできるだけ元の状態に戻すこと、生活できるようにすること、それができなければいくら血糖値が正常範囲にあっても状態がよいとはいえない。今日はだめかなー、やっぱりうまく治療できてないのかなー。
「何でもいいから、何か食べそうなものあげてくれる?」最近愛川町に常勤の先生(通称:青年)に声をかける。「a/dですか?m/dのほうがいいですか?」いやー、こんな状態のときに処方食を食べるとは思えないんだけどねー、若者は教科書どおりの答えしか出てこない。「いや、何でもいい、食べそうなもの、普通の猫缶でもいいからとにかく少し口にいれさせないと。」
出てきたのはマグロ&カニカマの小さい缶。それを少量、青年がおそるおそるプーちゃんの口元に運ぶと・・・少しだけ匂いをかいだ後、プーちゃんはスプーンごと喰らう勢いで食べ始めたのである。もちろん、治療食としてカニカマがいいとは言わないが、食べないよりは食べたほうがいい、ぎりぎりの選択である。まだまだ血糖値のコントロールはできていなくとも、食欲があるというのは治療として一歩前進したと考えられよう。
あとは、貧血。実はプーちゃんはFIV(猫免疫不全ウイルス)に感染していることが以前からわかっている。栄養状態もよくないうえに骨髄を抑制するウイルスに感染しているのだから、貧血はあっても不思議ではない。そしてその分治療に対して負の要素が加わっていくのだ。
結局昼過ぎから市役所と銀行に行き、夕方から愛川町に戻って、表やグラフを作って治療の戦略をたてていた。作用時間の短いと思われる今のインスリンと短時間型のインスリンを組み合わせて、月曜日までなんとかコントロールさせていかなくちゃいけない。月曜日には超長時間型のインスリン製剤を使う予定なのだ。それまでなんとか、脱水だけでも改善させておいてほしい。明日もあさっても、ちゃんとコントロールができて食べて水も飲むようになるまで、プーちゃんは点滴にくる。
毎日通えばそれだけお金がかかる。ちゃんと治療しようと思えば検査費用もかさむ。「ちょっと今プーちゃんがこういう状態なので、費用もかかってしまうんですけど」と言ったら「それは、糖尿病にかかったときから覚悟していましたから。」とこともなげにお姉さんが言う。前にかかっていた病院にも毎週毎週、検査に行っていたし、こちらの検査の指示をちゃんと守ってくれるエライお姉さんである。
今夜のインスリンを注射する時間をいつもより少し遅めにしてもらう。そして、その量もいつもの半分だ。こちらで血糖値を少し下げてあるのでいつもの量で注射したら、低血糖で倒れてしまうかもしれない。そして、いつもより遅くすることで、明日の朝病院に来るまでの血糖値が、今日ほど高くはならないはずだ。
肝心なのは、その後どう治療していくのか。一応青年に指示は出してきたが、実は内心すごく不安。インスリンの量とかも気になるけど、何よりも体重を測ったり、皮膚をつまんで脱水の状態を見たり、ということを今日彼は怠っていたのだ。忙しかったのはわかるけど、忙しいからといって省略してはだめだよ。それは動物の生きている状態のバロメーターなんだからね。と、できるだけドスをきかせないように注意する。
明日は大学だから、細かい指示を出すことができない。青年よ、あとは任せた、と言いたいところだが後で、明日の指示をもう一度出しておこう。口うるさいといわれても結構。できるだけのことを、してあげたいのだから、仕方ない。今日はボランティア出勤なのだが、院長先生が動物薬メーカーからもらった心臓の聴診のCD-ROMをくれた。ちょっとラッキー。

ところで、今日から春の交通安全週間だ。今日はあちこちにパトカーや白バイがいた。あぶない、あぶない。あ、そういえば、バイクのオイル交換しなくちゃいけなかった・・・・。ああ、当分時間ないよー。

Monday, April 04, 2005

DMづいている最近

今日は月曜日、いつもなら時間に余裕のある愛川町への通勤も、昨夜からの雨のためバイクには乗れず、バスに乗らねばならない。そうすると30分は早く家を出なければならないので朝がものすごく忙しくなってしまう。
それなのに、今朝は珍しくお弁当を作った。自分のためじゃないよ、助手のお弁当。春休みの間も助手は朝からデイリー学童クラブという民間の学童保育サービスに行き、学校も学年も違うお友達と1日中を過ごして帰ってくる。そこでの昼ごはんは、助手によればだいたい半分か半分よりちょっと多い子供がそこで注文する弁当で、残りが自宅からのお弁当を持ってくるらしい。助手はほとんど、というか今まで注文弁当だったのだが、今朝私が作る羽目になった。それも、この短く切った髪のせいである。
先日髪を切って助手に泣かれた私は、しくしく泣く助手を寝かしつけるためにあれやこれや気のまぎれる話をしているうちに、デイリーでのお昼ごはんの話にいたり、「本当はママの作ったお弁当がいいんだ」という半ばいじけた助手の言葉にすっかりやられてしまい、月曜日はお弁当を作ってあげる、ということになってしまったのだ。お弁当くらいで泣き止むなら、早起きだっておにぎりだって、ママには苦にならないよ、とばかりに。
おにぎりがいいんだって。それと野菜は、ブロッコリーとトマトと、あとあのふにゃふにゃしてるレタスと、それと、デザート!って、急に楽しそうな声になるから、うんうん、わかったって言っちゃったんだよー。まあ、これくらいしかしてやれることはないから。これくらいのことでも喜んでくれるうちは、ママだって認めてもらえるかな。
そんなわけで朝からお弁当を作った。ついでだから自分の分も作った。でも、急いで出かけて助手のお弁当にデザートのゼリーをつけるのを忘れた。ごめん。

月曜の愛川町といえば、リンパ腫の治療だ。猫の白血病ウィルスによるリンパ腫のケンちゃんも、犬の多中心型リンパ腫のテリーくんも、絶好調。テリー君は先週会えなかったせいか、今週はものすごく甘えてくる。採血も抗がん剤を入れるときも、何をされていても全く意に介さず、おとなしく診察台の上に乗っているのだからたいしたものだ。ああ、テリー君、可愛いなあ。私を呼ぶとき、耳を後ろ側に伏せてひゅーんひゅーんと鳴くところがハックそっくりだ。もう好きで好きでたまらない、という状態。(本当かどうかは聞いたことないからわからないけど)テリー君も私のことが好きなんだなあ。
なんて、幸せな気分もつかの間。どうも最近の私は糖尿病づいている。とうとうこっちでもコントロールを失った糖尿病の猫が出た。プーちゃんは2年前からこの病院にかかるようになった。相模原のほかの病院で治療を受けていたが、その病院の方針に合わず転医してきたのだった。それからしばらくは私が担当していたが、私の出勤が減ってからはどうもちゃんと計画的というか定期的な検査をしていなかったらしく、何ヶ月か前に検査をしたら血糖値がものすごいことになっていた。
その後も数回検査に来ていたのだが、とうとう昨日食欲がなくて来院したらしい。今日も食欲がなく、今までの経験から飼い主は昨日の夜と今日の朝のインスリンをうたずに来院した。
糖尿病の動物が具合悪くなったときはきめ細かな検査が必要になってくる。血糖値だけでなく、それ以外の項目を調べることで全体がどういうことになっているのか把握することが大事なのだ。今日は結局1時間ごとに採血をして血糖値を調べたり電解質を調べたりして、短時間型のインスリンを使って血糖値を調節していった。通常の8倍近く高かった血糖値がある程度下がってくると、プーちゃんはうなり始めた。具合が悪いのではなく、これがいつものプーちゃんなのだ。そして最も血糖値が低くなったとき、それ以上血糖値が低くなるのを防ぐためにもプーちゃんに処方食のカンヅメを与えたら、ようやく食べ始めた。
その後も血糖値とにらめっこしながら、何とか自宅で今晩過ごせるかなというところまでもっていく。しかし、自宅でのコントロールも、今のインスリンの種類や量ではコントロールできないかもしれない。それは明日以降の課題で、残念ながら私は自分の目で見ることはできない。明日の担当に引き継ぐため、こまかな説明を紙に書いていく。ああ、自分でやりたいなあ。
明日は明日の仕事がある。せめてプーちゃんの経過がよいことを祈ろう。何かあったら、大田区のほうに電話ください、って言ってきたけど、どうかな。

Sunday, April 03, 2005

収納計画

部屋が片付かないのは私が自分の睡眠時間を優先させてしまうせいもあるが、明らかに「いれもの」よりもあふれるほどのたくさんの本が原因のひとつだと思っている。収納上手といわれたいけど絶対無理、な私。時間があってもそれ以上にやること、やらなきゃいけないこと、やりたいことがある。よっぽど気合を入れないと、今目の前に積み重なっているたくさんの専門書なんか片付かない。模様替えもしたいけど、そんなことしている時間なんかない。収納上手な人の収納の仕方よりも、生活のリズムなんかを教えてほしいと思う。どういう生活をしている人が収納上手なんだろう?
とにかく本は増え続けていく。そうでなくても本は増えるというのに、獣医であり続ける以上、獣医学専門雑誌は毎月、それから半年毎に届く会員誌は海外の文献を訳した分厚い文献集、そしていろんな資料のファイルに、セミナーのハンドアウトや学会のプロシーディング。そして、それ以外にも専門書のよいものがあれば買ってしまう。全部読んでいるかというと、興味のないところは読んでないこともあるので、雑誌なんかはいずれファイリングしなおさないといけない。
そこへきて、大学にとある出版社から専門書が大量に寄付された。それは私たち腫瘍科研修医全員にそれぞれ20冊近く(正確に数えていない)配布され、持ち帰るのはものすごい重さだった。有無を言わさず配布されたので、実はもう持っているなんて本や、同じような系統の本もあり、歯科の本が3冊もあってどうしようというくらいだ。小動物歯科はすでに自分で本をもっていたのでこれで4冊。歯科も極めろという神のお告げか?しかし、こんなに大量に本を買うことは自分ではできないのでありがたくいただく。だって専門書高いもん。欲しかった本もあったのでそれはものすごーくラッキーだったし。そして先日の韓国の専門書。もうこれだけで7冊、床に積み上げて20数センチの高さになっている。
これだけ大量の専門書籍を一気に買ったら1ヶ月の収入が十分ふっとぶ。だから、これらの本は貴重な大切な本なのだ。全部読むまで何年かかるか、と思うけど。
そんなわけで、増え続ける本と助手の身の回りのものとで部屋の片づけが滞る。助手のおもちゃは捨てよう。本棚も買い足さないと無理だ。自分の家を建てたら絶対書斎は作らないとなー。
そういえば、結婚してから何回引越ししただろうか。独身時代の自分の家財道具にちょっとした収納ボックスやなんかを足した程度ではもう足りないんだって。もうあと何回も引越ししないから、そろそろちゃんとした家具を買っていったほうがいいのかなあ。でも家具を買いに行く時間も、配達を待つ時間もないぞ。
よくよく考えれば自分の時間だって、収納と同じだ。時間は誰にもみな平等に1日24時間しかないのに、そこに詰め込むことが多すぎるのかも。仕事は週4日。そのうち3日は大田区まで4本の電車を乗り継いで通う。週に2日は大学へ朝6時すぎに家を出て通う。大学には2日しかいないのに、それ以外の時間で学会発表の準備や文献の翻訳をしなければいけないから、普段の生活に大学関連のことが押し寄せる。休みは週1日、これも学会やセミナーがあるとつぶれる。少しでも自分の時間があるなら、何も考えない時間も欲しい。結局私は、自分の時間すら上手に使いきれていないのだ。
自分の部屋も、自分の時間も一緒だ。決められた容量を超えたものを詰め込もうとしている。その中の優先順位を、年度始めの今こそ検討しなおさないといかないかもね。(と思いながらも毎日が流れていく・・・・)
ああ、バンコク時代の優雅な生活がちょっと恋しい。メイドさんを雇うなんて、この先もないだろうなあ。

Friday, April 01, 2005

韓国学会後記

あっという間に1週間が過ぎてしまった。せっかく韓国のホテルでは自分のPCをネットに接続できたのに、ブログの更新をする時間がなかった。到着してから帰国まで、けっこう忙しかったのだ。到着したその晩は、通訳の先生(韓国の獣医さん)をまじえて、みんなでホテル近くの焼肉やさんへ。何しろ、UAの機内で出された機内食のランチボックスが冷凍寸前に冷えたハムチーズサンドとプレッツェルで、物を食べた心地などしなかったのである。たった3時間足らずの飛行時間でも、あんなのを出されると体が冷えてしまう。そういうところがアメリカの航空会社、という感じがした。やっぱり、あったかいものを食べたいものだ。で、さっそくカルビというのは恩師のリクエスト。そして、夜10時過ぎからの焼肉大会である。豚肉のバラをかりっと焼き上げて食べる「サムギョプサル」に続いて、A4サイズくらいの大きさの骨付きカルビ、テーブル狭しと並べられる小皿の数々、ああ、一緒にきてよかった。おいしいよー。そして、ごはんものはちょっとお腹にきびしいかも、というところで、初めて食べる「ヌルンジ」これは、石焼ピビンパなんかでできる「おこげ」にお湯をさしただけのものだ。日本の感覚でいえば、お茶漬けというか湯漬けとでも言うのだろうか。味が特別にあるわけではないのだが、さっぱりしているので口をすすぐような感じがする。あー、もう動けないよー、という状態で午前1時、お店も閉まる時間である。ホテルはヨイドという日本の永田町のような証券街のようなところにあるビジネスホテルのようなところ、と聞いていたのだが、内装はちょっとデコラティブで、部屋はダブルベッド、やたら広くてバスルームだけで日本のビジネスホテルくらいありそうだ。おまけにミストサウナまでついている。これって本当にビジネスホテル?

翌朝はホテルのコーヒーショップで朝食、ということだったが、こればっかりは悲惨。トースト2枚とインスタントコーヒー、ジュースか牛乳。それだけ。会場へ行く前に時間があったので、近所のスタバでショートラテを買う。ああ、メニューがハングルだよ。それどころか、周り中ハングル。当たり前だけど幸せ。会場までは今回の大会の運営スタッフでもある現地の獣医師が車を出してくれる。昨日の通訳の先生はいないので、ここでちょっとだけ私の韓国語が役に立つ。そういえば、昨日の夜もちょっと役に立った。たとえ流暢でなくても、韓国語で話ができるというのは、彼らにとっても便利なのだろう。彼らの英語も私たち日本人獣医師の英語も、そこそこの会話力しかない。しかし、ちょっとでも話してしまうと、通じると思ってすごい勢いで話し始めるので大変だ。何度も聞き返したり、ゆっくり話してもらったり、独学で学んだ私の韓国語なんて、まだまだそんなものなのだ。会場では私たち日本人獣医師は「Guest」と書かれたネームプレートを渡される。今回の年次大会の後援には日本獣医臨床フォーラムがまわっているのだ。名誉大会長はフォーラム代表の、我が恩師。先生にくっついて会場を回る。今回講義をする外国人講師の次に待遇がよいらしい。

2日間、昼食は外国人講師の特別食。夜はウェルカムパーティや打ち上げの韓定食。ここでもしどろもどろながら、韓国の先生方と話をしたり、ちょっとだけ通訳したり、冷や汗脂汗で韓国語を駆使(苦使?)する。そして2日目の夜、男の先生たちはみな女性がいるお店で2次会をするらしい。その時点で女性は私一人だけ。一緒に行くわけにはいかないけれど、夜はまだ早い。そしたら、現地の先生で昨年の臨床フォーラム年次大会で知り合い、情報の交換をした開業獣医師が、私をどこかに連れて行ってくれるという。日本側のコーディネーターがちょっと心配して「僕も行きます」と言ってくれたのだが、通訳の先生は「私も行くから大丈夫、必要ないです」と言うらしい。コーディネーターが恩師に「どうしましょう」と言ったら「大丈夫だと言うなら大丈夫でしょう」ということで、あっさりと私一人が、放り出される形となった。

通訳の先生と、以前からの知り合いの先生に、もう一人の開業医を加えた3人が連れて行ってくれたのは江南にあるクラブというかカラオケクラブというか、日本でもこういうところってあるのだろうか、カラオケボックスとはちょっと雰囲気が違う。そこに通訳の先生の妹分みたいな女の子を加えた5人で乾杯をする。韓国学生の定番「爆弾酒」はビールの中に焼酎を混ぜたもの、タイタニックというゲームはビールを注いだグラスにショットグラスを浮かべて、そこに一人ずつ順番に少しずつ焼酎をいれてグラスを沈めた人が負けで一気飲み、みんな順番に歌って、私もk-popを披露する。K-POP歌える日本人獣医師は滅多にいない、と思うけど。話をしているうちに4人の獣医師がみな1968年生まれの同級生、ということがわかり、だんだん大学の同級生だったかのような雰囲気になってきた。今度は日本で会おうね、いや、来月のレクチャーシリーズも韓国まで来るんだ、9月にはまた日本だよ、と延々と話し、気づいたら日付はとっくに変わっていた。G0先生、Jon先生、Mung先生、それからヒヨンちゃん、ありがとうございました。

韓国語を話せる、ということ。同年代の獣医師ということ。そして、獣医師としてもっと勉強しようと思っていること。それが私たち4人をつないでくれたのかな。本当に楽しい時間だった。純粋に歓迎してくれた先生方には本当に感謝。次はもうちょっと話せるように頑張りますよー。

ところで現地では専門書を買おうと思っていたのだが、韓国語の腫瘍関連の本は出版されていないらしい。他の本は特別に欲しい本がなく、韓英医学辞典を買った。35000ウォン。日本円で3500円。安い。買ったのはこれだけ。しかし、この年次大会の参加特典として皮膚科の本と行動学の本がもらえ、恩師が現地の獣医師に「私が翻訳しました」といってもらった本3冊も「これは僕が持っていても読めないからヒビマリにあげよう」といただき、6冊の本をスーツケースに詰め込んで帰ってきた。韓国語オンリーのプロシーディングも大切な資料。重かったけれど、日本では決して手に入れられない大事な宝物です。

あっという間の4日間が終わり、私は髪を切り忙しい春が来た。髪を短く切りすぎて助手がさめざめと泣いてしまったことで胸が痛い。まさか、そんなことで泣くとは思わなかった。ごめんね、切りすぎちゃった。でも美容師さんは楽しそうだったよ。

本当は韓国の話、もっともっと書ききれないくらいあるのだけど、またいつか、別の機会に。日記の書きダメはやめよう。とちょっと思っている。